<奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> (BS世界のドキュメンタリー)

2008/7/26-8/8
二〇世紀初頭の資産家、アルベール・カーンのコレクションを基に、当時の人々の生活をひも解いていく、全九回のシリーズ。
カーンは平和の実現のためには、ほかの国の人々の生活を理解することが必要だと考え、『地球映像資料館』というコレクションを作り出していく。そこには、当時まだ珍しかった、カラーフィルムを用いた写真とモノクロの映像の、膨大なコレクションが収められている。
当時の重要な政治家・経済人と交流のあったカーンは、二〇世紀の歴史における重要な瞬間を撮った写真もコレクションに収めてはいるが、彼が力を入れて記録したものは、社会の中に生きる民衆の姿であった。そこには、当時の社会の変化の中で、多くのノスタルジックな風景や、素朴な暮らしが消え行く運命にある、というカーンの危機感が現れている。
カーンの危機感は数十年後に現実のものとなる。たとえば二〇世紀初頭のフランスでは、地方ごとに異なる文化があり、異なる言葉が話されていた。しかし、その後の国家主義により文化・言葉は画一化されていくことになる。また、オスマン帝国支配下にあったバルカン半島は、民族がごちゃまぜの状態にあり、人々はそれを当然のこととして受け入れていた。その後、半島では宗教よりも民族意識が優先されることとなり、戦争や民族浄化が頻発することになる。
その一方で、当時の新しい生活・習慣も捉えている。たとえばフィレンツェでは、現在と同じような土産物屋が写されているが、これは当時すでに観光産業が存在したことを示している。また、北欧は当時貧しく、アメリカへの多くの移民により、人口減少が始まっていた様子が写されている。
彼はアジアにもカメラマンを派遣している。そこでは、カラー写真により、インドやベトナム、モロッコの豊かな色彩が撮られている。
第一次世界大戦中も、彼のカメラマンは一般兵の日常を撮りつづけた。そこでは、彼らがアート作品や新聞を作ったりする姿、また女性のペンフレンドに手紙を書く姿が写されている。ちなみに彼女らはプロのペンフレンドである。その一方で、廃墟となった空き家を略奪する兵士の模様も写されている。
戦後は、その破壊のあとが撮られた。この戦争では、これまでにない破壊に加え、さまざまな場所に、これまでになかった数の記念碑が造られることになったのである。一方、戦場は観光名所となり、遺族のほか物見遊山の気分でその地を訪れた人々が写されている。
この番組の最後には、現代・未来の人々と過去を共有することが、このコレクションの価値である、と述べられていた。確かに、国家主義民族主義が台頭する前の豊かな文化の記録は、人々の財産として残るだろう。しかしそれに加え、彼が一般民衆の写真を残した意義は、人間の変わらない習性が伝えられたことだとも言える。別の言葉で言えば、私たちはそのコレクションから、浪漫性を廃した過去への視点を手に入れることができるのだ。
今年は「社会の中の民衆」というテーマで幾つかの本を読んできた。そこで知りたかったことは、大災害や重要人物の死の際に、人々はどう反応し、社会はどう変わったかということである。しかし、このドキュメンタリーを見て感じたことは、彼らの反応は現在の私たちと驚くほど変わらず、ほとんど予測可能ではないかということである。過去の歴史は、幻想の産物であってはならないのだ。