『日常生活における自己呈示』 アーヴィング・ゴフマン 5/7

第4章 見かけと食い違った役割

(ある特定のパフォーマンスの中では「パフォーマー」「オーディエンス」「部外者」の三種類の役割があることをふまえ)パフォーマンスが行われているときには、機能と手に入る情報と領域とのアクセスの間に相関関係があると予想できるから、たとえば、ある人がどの領域にアクセスしたかを知れば、その人がどの役割を演じたか、パフォーマンスについてどんな種類の情報を持っていたかを知ることができるだろう。
しかしながら、実際の事実を見るなら、機能、保有する情報、アクセス可能な領域の完全な一致はめったに起こらない。そこにさらにパフォーマンスに際して独自の利点を持つ立場がいくつかつけ加わり、それが機能と情報と場所のあいだの単純な関係を入り組んだものにする。……三つの基本的な役割との比較において、そうした立場を、見かけと食い違った役割と呼ぶのがもっとも適切だろう。
具体例として、「情報提供者(インフォーマー)」「サクラ(シル)」「監視係(スポッター)」「仲立人(ゴー・ビトウィーン)」など。(228)
仲立人の役割は、インフォーマルな懇親のための相互行為(やりとり)において特に重要だと思われる。そしてそのこともまた、パフォーマンスを二チーム間のものと考えるアプローチの有効性の例証になる。ある人が会話の輪のなかにいて、その人の言動に他の人たちが一致して注意を払っているとき、その人は状況を定義しているのだが、その定義はそれを見聞きしているオーディエンスには受け入れにくいかたちで行われるかもしれない。その場にいるだれかが、その人に対して他の人たちが感じているよりも大きな責任が自分にあると感じるだろうし、そして私たちは、そう感じているその人にいちばん近しい人物が、話し手と聞き手の意見の食い違いを、当初に投影されたものよりその場のみんなにとって受け入れやすい見解に翻訳しようと努力することを期待するだろう。それに引き続いて他のだれかが会話での発言権(フロア)をとったなら、その人は、自分が仲立人や調停人の役割を担っているのに気づくだろう。(237)
(裏領域や破壊的な情報にアクセスできる人の一つの種別である「信頼できる友(コンフィダント)」について)元外交官や元ボクサーが回顧録を書いたなら、読者である公衆は舞台裏に連れていかれて、その時点ではすでにまったく過去のことになってしまっているとはいえ、すばらしいショーのパフォーマンスをした人物の、水増しされた「信頼できる友」になるのである。……
他者から信頼され心を許される人間は、それを仕事にしているわけではない。しかし、私たちは顧客がしばしば、自分がサービスを受けているスペシャリストを、(たぶん口を慎んでもらう手段として)信頼できるともに変えようと試みるのを目にする。とりわけ、聖職者や心理療法医のように、スペシャリストの業務内容がただ傾聴し語るだけであるときにそれがいえる。(250)