オン・ザ・ロード/ケルアック

2008/6/22-8/3
40年代後半のアメリカを舞台とした、「ビート・ジェネレーション」達の様相を描いた小説。「ビート」とは、音楽用語であると共に、「くたびれた」という意味もあり、著者がその言葉を使うときには、どこか明るい諦念のようなものがある。
彼らの退廃的な、刹那的な、そして楽観的な感情は、例えば次のような描写から読み取ることができる。
「旅の始めは、霧雨でミステリアスだった。この先には霧の大きな物語がかぎりなく広がっているのかも、とすら思えた。「ひゃっほう!」とディーンは叫んだ。「行くぞ!」ハンドルの上に体を丸めてぶっ飛ばした。やつらしい姿に戻ったのがみんなに見てとれた。全員、浮き浮きしていた。みんな、承知していたのだ。いろんなごちゃごちゃやナンセンスとおさらばして、僕らにとって唯一の雄大なことがいよいよ始まった、つまり、動くこと。ぼくらは動きだしたのだ!(中略)「いいか、おい、安心していいんだ、万事順調なんだよ、なにも悩む必要はないんだ、なにも悩まなくていいってわかってることのありがたさを、よおく噛みしめろ。わかるか?」異議なし、と答えた。「行くぞう、みんないっしょだ……ニューヨークではいろいろあったよな?ぜんぶ水に流そうぜ」」(186-187)
「オールド・ブル・リーについて語るには一晩は要るだろう。いまはとりあえず、やつは教師だ、とだけ言っておくが、教える力があるといえるのはいつもずっと学んできたからだ。そして何を学んできたかというと、やつの言うところの「人生の真相」で、必要からだけではなく、そうしたいから学んできた。昔は、背丈のある細い体を引きずって、アメリカ全土、それからヨーロッパと北アフリカのほとんどを、なにがあるか見てみたいという気持ちだけで回っていた。一九三〇年代にはユーゴスラヴィア白系ロシア人の伯爵夫人と結婚したが、それはナチスの手から逃してやるためで、一九三〇年代のコカインの国際組織と一緒の写真は何枚もある――ワイルドな髪形のギャングどもと肩寄せ合っている。また、パナマ帽をかぶった写真もけっこうあって、それはアルジェの街で測量の仕事をしていたころのもの。・・・(中略)・・・こういうことをぜんぶ、たんに経験したくてやった。)(199)