2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

二月に鑑賞した作品

今月は以下の作品を鑑賞した。 2/11 『奇子』 手塚治虫 2/25 永青文庫 日本画の名品/名古屋市美術館 上村松園『月影』、木村武山『祇王祇女』秋草・シースルー 鏑木清方『花吹雪・落葉時雨』、松岡映丘『室君』

中世のしぶとい生命力 ―『中世の秋1』ホイジンガ 6/6

この巻の終わりは、中世末期の宗教に関する考察となっている。「日常生活をおおう宗教」という視点で、当時の様相を描いているのだが、意外にも現代に通じる事柄が多い。 例えば、中世できわめて世俗化、日常化していた、聖者崇拝に対する論評。 宗教を、つ…

形式が成熟すれば「遊び」となる ―『中世の秋1』ホイジンガ 5/6

ホイジンガは、人間性の本質として「遊び」の重要性を指摘した人である。その「遊び」とは、騎士道や恋愛術のような形式の成熟の果てに、立ちあらわれるものなのだ。 おおよそ終末の時代には、上流階層の文化生活は、ほとんどまんべんなく遊びと化してしまう…

様式としての「騎士道」と「恋愛」 ―『中世の秋1』ホイジンガ 4/6

このように、社会全体を覆っていた「形式」であるが、その最たるものが「騎士道」そして「恋愛」である。 たとえば、「騎士道」と王権の関係について。 ブルゴーニュ侯国は、その理念として、つねに騎士道理想の衣を身にまとっていた。歴代ブルゴーニュ候の…

理想と現実の、すさまじい断絶 ―『中世の秋1』ホイジンガ 3/6

中世末期という時代に関して、とくに著者が主張しているのは、中世が形式やメンツを重んじた時代であること、そして、それと現実との間には断絶があったこと。 中世末期の文化は、まさしく、この視覚のうちにとらえられるべき文化なのである。理想の形態に飾…

はげしく、あらあらしい時代 ―『中世の秋1』ホイジンガ 2/6

著者は、中世末期はどのような時代だったか、というところから話を始める。「はげしい生活の基調」と名づけられた章題のとおり、そこには、あらあらしく、いくぶん単純化されたような時代の様相がかいま見られる。 中世人の行動や、残された芸術の背後に、ま…

美しい書名に惹かれて ―『中世の秋1』ホイジンガ 1/6

『中世の秋』という美しいタイトルともつこの本。その名前から興味を持ち、何年も前から読みたいと考えていた。 ただ、書評や読者レビューを見ても、何について書かれた本なのかいまいち分からない。そのため、予備知識もなく読みだしたのだが、なかなか面白…

歩きながら、ときどき立ち止まりながら考えること −『ナマコの眼』鶴見良行 6/6 

もう一つ、この本でつよく感じたことがある。それは、ひとつのテーマを深く、深く掘り進めていくと、そこには見たこともない、とても豊かな世界が開けているということ。世界のウラ側に抜けられる、という表現でもいいかもしれない。 「太陽と星くず」と題さ…

南スラウェシの記憶 −『ナマコの眼』鶴見良行 5/6 

ナマコという具体的なモノについて書かれている内容だけあって、この本にはたくさんの地名や人名が出てくる。その為か、読んでいて旅しているような、人のおはなしを聞いているような感覚をあじわうこともできた。 特に著者が何度も言及するスラウェシ島や紀…