オン・ザ・ボーダー/沢木耕太郎

2007/12/29-2008/1/4
著者の二〇代の頃の旅から、最近の旅までの記録をまとめたエッセイ集。
最近の旅では、ブラジルやベトナムの記録がある。若い頃の文章から伝わるみずみずしさや感動はないが、旅の経験を重ねたなりに楽しもうとする著者の姿勢が感じられる。旅の楽しみをもう一度見出すためにも、今年は沢木氏の文章を読んでみたい。
引用する文章は、『深夜特急』の五年後に香港を再訪した際の記録。この旅行で著者は五年前の感動を味わうことができず、全体がその物足りなさに包まれている。そして「旅は繰り返せない、繰り返そうとしてはならない」ことをこの旅の教訓とし、以後一〇年ほど『深夜特急』以外の紀行文的な文章を書かなくなる。
この文章に流れる気分は、現在の私の旅に対する態度にかなり近いものであった。そのため、この香港行きの記録は、全編の中でもっとも感銘深く読むことができた。

六十セントの豪華な航海

「すっかり闇になった窓の外を眺めながら、何かが欠けているのではないか、何か大切なものが、今度の香港での滞在には欠けているのではないか、と感じられてならなかった。何か物足りないのだ。五年前と同じようにゲストハウスに泊まり、屋台で食事し、フェリーに乗り、バスと市電で移動し、足で歩き回っているのに、何かが違う。あの時の熱狂と興奮が、どうしても完全に蘇らないのだ。どうしてなのだろう……。
しかし、その時、ふと思った。いまの自分がしていることは、老人のセンチメンタル・ジャーニーではないか。かつての若かりし日々の追憶のために、思い出深い土地を再訪する、そんな感傷旅行と変わりないではないか。昔の自分をなぞるほど、俺は老いぼれてしまったのだろうか。どうして、かつての旅とは、まったく違う仕方で、この旅を始めようとはしなかったのだろう。」(141)
「夜、ホテルの部屋から外を眺めていると、不意に奇妙なものさびしさに襲われた。確かにレパルス・ベイでの日々も、このペニンシュラでの何日かも愉しかった。贅沢とまではいかないが使うべきところで金を使うことで、香港でのもうひとつの愉しみ方を経験できたことは間違いない。それで十分ではないかと思うのだが、一方でやはりさびしさのようなものを感じないわけにはいかないのだ。
おそらく、その満たされなかった思いとは、この旅ではついに人と出会うことができなかった、という一点に尽きるに違いなかった。五年前の香港の旅が、他のどの旅より強烈な印象として残っているとすれば、それは何より数多くの人物と鮮やかな出会いをしていたからだろう。(中略)
ところが、今度の旅では何故か人と出会うことがない。あるいはこれが常態で五年前が幸運すぎたのかもしれない。無理にでもそう思おうとするが、さびしさのようなものはどうしようもないのだ。」(146)
「ぼくは海面に映る白と赤と青と緑の灯を見ながら、ぼんやりと考えていた。
五年前の旅では実に多くの人に会えた。しかしそれはただ単に幸運だったにすぎない。今度の旅でたとえひとりの人に出会えなくとも、やはりぼくにとって香港が最上の場所であることには変わりはない。たとえ、六十セントが一ドルになろうとも、香港にこの「豪華な航海」がなくならないかぎりは……。」(150)