『転がる香港に苔は生えない』 星野博美

2010/12/30読了
10年近く前に「話題の本」として、多くの本屋で平積みにされていた本であったと思う。当時、気になってはいたが読まずじまいであり、発刊から10年を経て、ようやく読むことができた。

90年代特有の香り

単行本の発刊は2000年であり、96〜98年の香港が舞台となっている。そのせいか、第一印象として感じるものは、時代が持っていた独特の香りである。
それは、当時の香港や東南アジアの大都市のイメージである「アジア的混沌」、あるいは90年代の香港にも一部当てはまるであろう「発展途上性」といったものである。この本では、国民党村の最期や、下層階の汚さを嫌い高層階に住みたがる住民、鴨寮街の安物屋台、深センへの海産物の密輸などに、具体的に描かれるものである。

移民社会である香港の描写

また、著者の留学生という立場、住んでいた深水歩の状況を反映してか、越境者の登場人物が非常に多い。
特に、中国から香港への移民のおかれた状況が印象深く、中国から出てくることのむずかしさ、香港における同胞からの差別意識の様子が、繰り返し描かれる。

旅行者としての視点

著者の旅行者としての感じ方も、共感できる部分が多かった。たとえば、かつての知り合いが居なくなっていることからくる感傷。バスの窓から見える街のいとなみ、それらの人々と出会えないことのもどかしさ。
かつての旅先を再訪するとき、このような感情を抱くことも多い。

私が訪れた香港と比べて

著者が滞在した96〜98年当時、私自身香港に奇妙な思い入れがあり、香港関連のテレビ番組などをよく見ていた記憶がある。この本で著者が描くエネルギッシュな香港は、当時魅力を感じていたイメージそのままの香港像であった。その意味で、この本を読んでいて、なつかしさのようなものを感じることもできた。
そしてその思い入れがすっかり消えてしまった2001年、中国旅行の際に初めて香港を訪れた。
しかしその印象は、かつて香港に持っていたものとは大きく違っていた。「ずいぶんおだやかな街だな」というものであった。
人はどちらかといえば静かで、自己主張の激しい香港人、という印象からは遠い。九龍の繁華街や屋台からも、どこか整然としているように見えた。
この本の登頂人物は、香港の中でも周縁的な位置にいる人物が多いのではないかと思う。そのせいか、性格も生い立ちも、みな個性的だ。しかし、そうではないふつうの都市生活者としての香港人、あっさりした香港、ゆたかな先進都市としての香港が、よりリアルな香港像なのではないかとも思うのだ。
一冊のノンフィクションとして非常に面白く読めた一方で、かつての短期旅行者として、そのようなことを考えさせられた。

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)