はげしく、あらあらしい時代 ―『中世の秋1』ホイジンガ 2/6

 著者は、中世末期はどのような時代だったか、というところから話を始める。「はげしい生活の基調」と名づけられた章題のとおり、そこには、あらあらしく、いくぶん単純化されたような時代の様相がかいま見られる。
 中世人の行動や、残された芸術の背後に、まずこのような時代背景を見るのが、著者の考えかたである。

 統治府の機構は、実際には、すでに複雑なものになっていたのだが、民衆の心に映る政治のしくみは、あるきまった単純な形をとっていた。人々は、いわば、その時代の王たちを、ある限られた数の、いくつかの典型に還元してしまったのである、それぞれを多少なりとも歌謡ないし冒険物語の題材に対応させて。(19)

 情熱という要素は、今日なお政治に不在ではない。だが、革命とか内乱とかの場合はいざ知らず、つねにブレーキをかけられ、障害物に行手をふさがれている。社会生活のいりくんだメカニズムを通じ、さまざまなやりかたで、ちゃんときまった水路に、情熱の本流は分流せしめられている。十五世紀においては、そうではなかった。情熱の衝動は、じかに、政治行動にあらわれ、利害も打算も無視されることがしばしばだったのだ。(28)

 過誤は償われるという考えは、しだいに後退し、昔日のなごみのなごりの、いわば牧歌となり、それにつれてますます強まったのは、過誤とは今や社会に対するおびやかしであり、神の尊厳に対する挑戦である、との想念であった。だから中世末期は、厳しい正義と司法の残酷さとに酔い痴れた知の時代である。……想い出したように、ときおり当局は、きびしい正義のキャンペーンを展開した。ときには泥棒や不穏な輩に対し、ときには魔女や魔術師めあてに、あるいは男色をねらって。(37-38)