歩きながら、ときどき立ち止まりながら考えること −『ナマコの眼』鶴見良行 6/6 

 もう一つ、この本でつよく感じたことがある。それは、ひとつのテーマを深く、深く掘り進めていくと、そこには見たこともない、とても豊かな世界が開けているということ。世界のウラ側に抜けられる、という表現でもいいかもしれない。
 「太陽と星くず」と題された結びで、著者は次のように述べている。

 中国は、早くからアジアで最大の市場だった。
 ここには自民族を天下の中心とする中華思想があった。世界の中央に中国の天があり、太陽が輝いた。大文明である。周辺の小文明は、蛮、狄、胡、夷と敵視され見下げられた。ましてその海辺の漁民やナマコは、農耕大文明の漢人からすると、宇宙に散らばる星くずに過ぎない。
 だが漢人は星くずのエネルギーを吸収してゼラチン食文化を洗練させたのである。
 太陽もまた星くずの恩恵を受けている。光は太陽だけが発するのではない。星くずもかそけき光を放っている。この逆照射を大事にしたい。
 星くずから太陽を眺め、ナマコの眼を借りてヒト族の歴史と暮らしを考えてきた。もとよりナマコに眼はない。(554)

 この本の著者には、『歩きながら考える』いう対談集がある。そのタイトルが示す通り、鶴見氏は、星くずのように無数の、そして多様な人々、モノに触れながら、発言しつづけた人であったのだ。
 歩きながら考えること。旅行に行ったり、本を読んだり。でも忙しければ読まなくなったり。そして人と話したり。そのようなことをしながら思考は熟成されるし、それがなければこの本から感動を受けることもなかっただろう。
 上記の対談集で、著者は「人生というか、学問というのはおもしろいもんだよ」という、学者としてはしごく当たりまえのことばを残している。私もそれを聞けば、「そうだよな」というありきたりな反応をするだろう。でも、そのような反応が、確信をもってできるくらいの経験は詰めたかな、とは思える。旅先の古書店でこの本に出逢った頃には、そのことに気づいていなかったのだから。