形式が成熟すれば「遊び」となる ―『中世の秋1』ホイジンガ 5/6

 ホイジンガは、人間性の本質として「遊び」の重要性を指摘した人である。その「遊び」とは、騎士道や恋愛術のような形式の成熟の果てに、立ちあらわれるものなのだ。

 おおよそ終末の時代には、上流階層の文化生活は、ほとんどまんべんなく遊びと化してしまう。中世末期は、そういう時代であった。現実は重く、きびしく、無常である。そこで、人びとは、騎士道理想の美しい夢へと現実をひきこみ、そこに遊びの世界を築きあげたのだ。人びとは、ランスロットの仮面をつけて演技する。これは、おそるべき自己欺瞞である。この心をつきさすような虚偽は、嘲笑をちらちらさせて、われとわが嘘を否認することによってのみ、ようやく耐えられたのである。
 十五世紀の騎士道文化は、おしなべて、センティメンタルなきまじめさとかすかな嘲りとの不安定な均衡の上に立っている。名誉、誠実、けだかい愛などの騎士道概念は、まったくまじめに取り扱われている。けれども、ときには、そのしかめっつらも笑いにゆがむ。(177)

 十四、五世紀の君侯サークルは、騎士道の熱っぽい雰囲気につつまれていたのだが、そのかれらのあいだにも、おおよそこういった、みごとにかたちのととのえられた新しい騎士団などというものは、世人の目にはむなしいおあそびとしか映っていないのではないかという自覚はたしかにあったのである。さもなければ、騎士団が創設されたのは高遠な目的があればこそであるなどと、どうして、くりかえしくりかえし念を押す必要があったろうか。(196-197)

 倦怠した貴族たちは、かれらじしんの求める理想を、みずから嘲笑う。空想をつくし、技巧をこらし、金の力にものをいわせて、美しい生活という情熱の夢を飾りあげ、多彩にいろどり、肉づきゆたかに、夢に現実のかたちを与えた。そのとき、かれらは気づくのであった、生活はもともと、そんなに美しくはない、と。そして、笑うのであった。(215)

 これらは、一見むなしい行為のようにも思えるが、見習うべき現実のやり過ごしかたでもある。たとえば、騎士道や恋愛に関して、「遊び」として認識せず、ナイーヴに受けってしまえば、それは気持ちの悪さにつながるだろう。
 今の時代は、そのようなシニカルな「遊び」の思想を、(乗りこえたわけではなく)通過した時代である。それは、終末の時代ではないということかもしれないし、「遊びが無い時代」といえるかもしれない。
 そして、現代的な「マチズモ」や「純愛」にうんざりさせられるのは、「遊び」を間に差しはさまずに、理想と現実を結び付けたがる単純させいのなのだと思う。