海洋から大地を見る −『ナマコの眼』鶴見良行 3/6

 国家単位でモノを考えなければ、私たちの視点は、次第に大地から海へと移っていく。国は土地を支配できるが、海洋は支配できないからだ。
 そして、海洋に視点を移せば、「中継地点」としての機能を持つ場所の役割が大きくなる。たとえば、フィリピンのマニラのような都市の重要性は、海からの見方を通して、はじめて理解できるものなのだ。

 ナマコもその前代の白檀も、マニラを経由して中国市場へと運び込まれた。西洋航海者は、“次なる目的地”としてマニラを意識していた。スペイン統治の全期間を通じて、マニラは、中国市場とメキシコを往来する中継地としての役割が大きかった。しかも南太平洋の船長たちは、いつもマニラにおける白檀やナマコの市価を気にしていた。……
 最終消費地よりも手前の中継港が市場価格の情報源になる例は、他の物産でも見られる。一九世紀、インドから中国へとアヘンを運んだイギリス船は、シンガポールの値動きで、香港の市況を察した。太平洋のアメリカ船がマニラのナマコ価格を気にしたのと同じ態度である。
 マニラもシンガポールも中国市場の指標(インデックス)だった。華人欲望の代弁者といってもいい。
 こうしたマニラの重みがマニラメンなる語を生んだのである。(79)

 また、オーストラリア北部の木曜島に行った著者は、かつて日本人移民が働いたサトウキビ農園よりも、同じく日本人の潜水士が活躍した真珠採りにばかり視点を当てていることに気づく。考えれば当たり前のことだが、海が陸よりも高い価値をもつ場所は、想像以上に存在するのだ。

 私は、海が大地によって、漁が農によって見落とされているような気がしている。日本史を稲作中心で理解しようとする史家の立場にも違和感があった。だからナマコに眼をとめたのである。
 それを追ってクイーンズランドの木曜島まできてみると、人びとの理解は、まったく逆だった。農を中心にしてみずからの社会を考えてきたわれわれは、サトウキビ農園に移民を送りこんだにもかかわらず、その事実をほとんど見捨てて、木曜島の真珠採りだけに視点を当てている。(205)