国家ではなくヒトから世界を見る −『ナマコの眼』鶴見良行 2/6

 鶴見氏がもっとも強く主張していること、それは国単位でものを見ること、中央からものを見ることへの批判である。

 国家を単位として歴史を記述できるのは、ごく限られた時代と土地にしかすぎない。それに歴史家たちは英雄に光を当てて記述しているから、歴史は多くのばあい中央の座に坐っている権力者の眼から見た歴史になってしまう。私はこうした発想を中央主義史観と呼んでいる。
 ナマコを借りて人類、ヒト族の歩みを語ろうとするのは、国家史観、中央主義史観への異議申し立てのつもりである。国家史観、中央主義史観では、ナマコ語やマニラメンやこれから登場する紀州の真珠採りは見えてこない。(115)

「グアムやサイパンでフィリピン人が大量に進出していることは知っていましたが、去年パラオに行って驚きました。同地の総人口は一万強ですが、フィリピン人の契約労働者が六〇〇人くらいはいます〔つまり六パーセント〕。そのうちメイドさんが一〇〇人。パラオ人とフィリピン人との関係は悪化の一途をたどりつつあり、社会問題化しています。
 僕はインドネシア研究者はパプアニューギニアへ、フィリピン研究者はミクロネシアにでかけてみることが必要だと思いました。パラオなんてミンダナオのすぐ東で、セブやダバオのラジオ放送が入ります。」
 ここには、国境を越え実際のヒト族の動きに即して事実を追求しようという発想がある。これは、事態を素直に見ればあまりにも当たり前の考えだが、なお学問の現状ではするどい問題提起になっているのだと思う。(126)

 マルク圏の交易がきわだって特異なのは、域内にこうした物産を利用する文化が何一つ育っていなかったということだ。……マルク特殊物産と交換するために、ジャワの米、インド織物、中国陶器、アヘンなどが運ばれて来た。当然それらは、小さな市へも流入する。こうして村人たちは新しい消費の味を覚えた。
 大きな市は、特殊海産物の産地に成立した。香料でいうと、テルナテ、バンダ、アンボンなどがある。ここにオランダの役人が駐在し、取引に税金をかけた。そこで古くから交易していた商人たちは、オランダの看視を逃れて人眼につかない小島で取引するようになる。……
 スラウェシ東南端のワンギワンギ、カレドゥバ、トミア、ビノンコなど、セラム島東南端のゴロン、セラムラウト、前述のチモールに付属する小島群、タニンバルの諸小島は、こうした自由交易港だった。自由交易にもっとも活発に従事したのは、南スラウェシの住人マカッサル族やブギス族だった。かれらこそ自由交易の建設者だったかもしれない。(186)

 国家という観念では見えてこない世界が多いし、人びとの生活は、国の事情とは関係なく、より具体的に、したたかに行われている。
 国の垣根を無視したビジネスといえば、シリコンバレー的なネットビジネスを想像する人もいるだろう。だが、なにも新しいビジネスモデルを発想する必要はない。マルク諸島やスラウェシ、沖縄の漁民たちにとっては、そのような情況こそが、そもそも当たり前だったのだから。