『村上春樹のなかの中国』 藤井省三

2009/3/15読了

村上春樹のなかの中国

第1章では村上作品の中に、中国という国家や中国人、日中関係がどのように影響を及ぼしているかを、『中国行きのスロウボート』『トニー滝谷』『ねじまき鳥クロニクル』『アフターダーク』等の読解をとおして考察する内容となっています。
村上氏が中国、とくに日中戦争時における日本の残虐行為に関心を持っていることを明らかにし、さらに最近のインタビューから、中国というテーマが大きく浮上している含みを持たせています。

僕にとって、日中戦争と言うか、東アジアにおいて日本が展開した戦争というのは、ひとつのテーマになっています。知れば知るほど、日本という国家システムの怖さのようなものが、時代を超えてそこに集約されている気がする・・・・国家システムみたいなものから自由になりたいという思いと、そこに小説家として関わっていかなければならないという気持ちが同時にある。(72)

アジアのなかの村上春樹

第2章から第4章までは、台湾、香港、中国における村上春樹の受容を、『村上受容四大法則』(「時計回りの法則」「経済成長踊り場の法則」「ポスト民主化運動の法則」「森高羊低の法則」)にそって辿っていきます。
このパートのなかでは、中国の雑誌が記したという、なぜ高校生から「小資」までが村上作品を愛読するのか、という疑問への次の回答に共感を覚えました。

それは世界が大きすぎ、固すぎるのに、わたしたちの心があまりに柔らかだから。村上の文章のあの恥ずかしそうな形容はわたしたちの最初の姿であり、あの子供のような言葉は天真な空間を取っておいてくれるのだ・・・・彼の本は毎頁が一葉の薬草、わたしたちはこれを若い傷に張って、青春の毒を治すのだ。

このように村上春樹は、ポスト勝g時代の中国では青年の繊細な心の傷を癒す言葉として受容されており、それは基本的には台湾や香港、そして日本における村上読者の心境とも共通するものといえよう。(172)

「阿Q」の系譜をめぐって

第6章は、東アジアの世界的な作家である魯迅村上春樹ウォン・カーウァイの作品に共通して見られる人物造型として「阿Q」の系譜をたどり、二〇世紀東アジア文学史の構想に対するひとつの理論的枠組みを提示します。

村上の一九九一年の作品「トニー滝谷(ロング・バージョン)」に登場するジャズマンの父、「歴史に対する意思とか省察」をまったく欠いた省三郎とは戦前版のQ氏といえよう。そして一九六〇年代末の学園紛争期に「まわりの青年たちが悩み、模索し、苦しんでいるあいだ、彼は何も考えることなく黙々と精密でメカニックな絵を描き続けた」息子のイラストレーター、トニー滝谷とは戦後日本の高度成長期におけるQ氏の分身といえよう。(230)

養母と生母のあいだにあって、アイデンティティ危機の不安を恋愛遊戯と脱出志向で紛らわそうとするこの「阿飛」に対し、ウォン・カーウァイは深い共感の思いを籠めつつ香港の国民性ならぬ市民性批判を行ったのであろう。レスリー・チャンが演じる「阿飛」とは、まさに現代香港の阿QでありQ氏であったのだ。(238)

村上春樹のなかの中国 (朝日選書 826)

村上春樹のなかの中国 (朝日選書 826)