『レヴィ=ストロースとの対話』 ジョルジュ・シャルボニエ 1/4

 200ページに満たない対談集だが、さすがはレヴィ・ストロース。この分量でも、様々な考えるきっかけやヒントを与えてくれる。
 何回かに分けて、この対談で感銘をうけた発言、そこから考えたことを書きとめておく。
・(民族学者は)肉体的に疲れる仕事ですし、このやり方で私たちは、あなたが言及なさったあの困難を解決することができるとは言いませんが、それが解決できないことを理解することができます。私たちが慣れてゆかねばならない様々の矛盾があること(「ユークリッド的」な社会学を断念すること)、諦めに似た親しみ方でその矛盾と共に生きることを学ぶべきだということを理解することができるのです。(15)
・(ルーレットの当たり目の確率にたとえ)人類が西洋文明というこの大変複雑な組合わせを実現するためには、千年を何百も重ねただけの間待つ必要があった、と言うとしましょうか。その組合わせは人類発生の初期に実現しえたかもしれないし、もっとずっと遅く実現したかもしれません。今現にそれが実現しているというだけの事であって、それに理由はありません。ざっとこんな具合です。しかしあなたは「それでは納得できない」とおっしゃるでしょう。(23)
・(文字の出現に際し、必ず見うけられる現象として)それは階級化された社会、主人と奴隷とから構成された社会、その人口のかなりな部分を他の部分の利益のために搾取している社会、そういった社会の体制です。(28)
・集団が集団として永続するためには、全員の意見一致が必要不可欠のものと考えられているのです。すなわち、今しがた言ったことをよく考慮に入れて頂けるなら、これは分裂の危険に対する防衛、社会集団の中に、善人かもしれぬ側と悪人かもしれぬ側との間に、暗々裡に位階制度が形成される危険に対する防衛であるわけです。言い換えれば、少数派というものがないのです。社会は、そこではすべての歯車が同じ活動に調和的に参与している時計のように存続しようとするのであって、自分の内部の潜在的な敵対関係、つまり熱源と冷却装置との敵対関係を隠匿しているように見えるあの蒸気機関のように動くのではありません。(34)
・我々の社会については、進歩と最大の社会正義の実現とは、社会のエントロピーを文化に移すことにあるはずだ、と考えることができましょう。まるでひどく抽象的なことを述べているように聞こえるでしょうが、しかしながら、私はただサン=シモンにならって、現代の問題は人間支配から事物の統治へ移行することにある、とくりかえしているにすぎません。「人間支配」とは、社会であり増大するエントロピーです。「事物の統治」とは文化であり、つねにより豊かで複雑な秩序の想像です。
 それにしても、未来の正しい社会と、民俗学者の研究する社会との間には、一つの差異、ほとんど対立と言えるくらいの差異が、存続しつづけるでしょう。それらの社会は多分いずれも歴史的零度にきわめて近い温度で活動するでしょうが、一方は社会の平面において、他方は文化の平面においてそうなのです。これこそ私たちが、産業的文明は人間性を失わせるものだと言うとき、曖昧に表現あるいは認識しているところの事実なのです。(42)
・ことの成行きから、民族学者は自分を、社会学的哲学的な、巨大な経験の無力な保管者であると思っています。……そしてもしあなたが「いかなる教訓をそこから引き出したか」と問われるなら、私はそのものを、それが価するところのものとして、それだけのものとして、さし出します。
 ところで、この教訓は今日の人間、あるいは明日の人間に、役立つでしょうか。私にはわかりませんねえ!(58)
→L・Sの代表作『悲しき熱帯』は、ペシミズムの印象が色濃い作品だが、この対談でも、彼は現代社会に対して悲観的な考えを持っているようだ。『悲しき熱帯』の最後には、「進歩を止めること」という彼の警句がある。「熱い社会」がおわり、ふたたび「冷たい社会」がおとずれることを、半ばあきらめながらも、彼は待ち望んでいるようだ。