80年代の新進理論 −「パンサル」の思想 3/5

 そして、上述した個々の内容を包括的に見れば、次のような考えかたが導かれるだろう。栗本氏自身の思想はここからさらに発展するわけだから、これらは栗本理論というより「パンサル理論」とでも言うべきものかもしれない。

・ポランニーの言う原始社会や古代社会などの経済体制は、それ独自で存在しているわけではない。それらは、宗教、政治、習慣、伝統などの全てを組み込んだ、共同体の思考と行動の共通した規範となっている。その規範に従ってメンバーが行動した結果、財物やサービスの流通がうまくいく。(62)
・つまり、地球は外からエネルギーをもらい、それを再び外に放出するという、開放されたエネルギーの体系なのである。
 生産に伴って生じる「汚れ」も、最後には熱というかたちで、地球の外に捨てられているわけである。この章のまえのほうで、「地球は一個の巨大な調和水槽である」と言ったのも、実はこのことだったのである。
 私は、これとまったく同じことが、人間の精神についても言えると考えている。だから必然的に過剰を蕩尽し、そのことによって精神の平衡を取りもどすのである。この行為は、いわば人間社会と人間の精神にたまったエントロピーを、外に捨てることだと考えてよいと思う。(84)
・内知(暗黙知)はまず「これが正しいのではないのかな」とか「これはおかしいのではないのかな」という「感じ」としてやってくる。ここで注意せねばならないことは、これらは通常の疑念や不安と一見、同じ様相を持っていることだ。それらを判別するために、自分のなかから湧き起こるそういう感じが実際、どういう結果をもたらしてきたかをつねに自分なりに検証しておく必要がある。……自分自身の精神と身体を十分自然に対して解放しておく努力も必要である。近代的知識とか道徳というかたちで私たちを搦めとっている「外知」のネットワークがあるからだ。(218)