『約束された場所で』 村上春樹

2009/10/4読了

元信者の視点から

――終末というのは要するに、今ここにあるシステムが全部チャラになってしまうことですね。
リセットですよね。人生のリセット・ボタンを押すことへの憧れ。たぶん僕はそういうことを思い描くことによって、カタルシスというか、心の安定を得ているんだと思います。
このあいだ宮崎勤事件について小学生にインタビューしているのをある本の中で読んだんですが、中で「宮崎という人は頭がよくて、人間の行きつく先がわかっているから、何をやってもいいと思ったんだ」というようなことを言っている子供がいるんです。これにはびっくりしました。子供でもそんなふうに思っているんだと。「こんな世の中、いつまでもつづかないよ」と心の中で感じている人は多いと思いますよ。とくに若い人たち、子供たちはね。(80-81)

インタビュアーの視点から

悪というのは、僕にとってひとつの大きなモチーフでもあるんです。僕は昔から自分の小説の中で、悪というもののかたちを書きたいと思っていました。でもうまくしぼりこんでいくことができないんです。悪の一面については書けるんです。たとえば汚れとか、暴力とか、嘘とか。でも悪の全体像ということになると、その姿をとらえることができない。それはこの『アンダーグラウンド』を書いているときも考え続けていたことですが。(273)

ただ僕はあの本を書いていて思ったんですが、社会そのものにはあの事件を防ぐだけの抑止的ワクチンは備わっていなかったけれど、人々の一人ひとりの語る物語の中には、やはりたしかな力を感じるんです。潜在的な力というか。そしてそれらの物語をひとつひとつ集めて積み重ねていけば、そこには何か大きな勢力が生まれるのではないかと。僕はこの本を書いていてたしかに数多くの絶望を感じないわけにはいかなかったですが、だから悲観的になるかというと、そうではない。むしろ逆に希望のようなものを感じています。そのような個々の力をどのように社会的に顕在化していくのかということになると、まだ五里霧中ですが。(289)

それで結局思ったんですが、僕らは世界というものの構造をごく本能的に、チャイニーズ・ボックス(入れ子)のようなものとして捉えていると思うんです。箱の中に箱があって、またその箱の中に箱があって……というやつですね。僕らが今捉えている世界のひとつ外には、あるいはひとつ内側には、もうひとつ別の箱があるんじゃないかと。僕らは潜在的に理解しているんじゃないか。そのような理解が我々の世界に影を与え、深みを与えているわけです。(中略)ところがオウムの人たちは、口では「別の世界」を希求しているにもかかわらず、彼らにとっての実際の世界の成立の仕方は、奇妙に単一で平板なんです。あるところで広がりが止まってしまっている。箱ひとつ分でしか世界を見ていないところがあります。(295-296)

このインタビューが発表されたのは平成十年であるが、あの頃は元信者の言葉にあるような考え方が、社会のある部分を強くおおっていた、そんな「暗い時代」であったと記憶している。

約束された場所で (underground2)

約束された場所で (underground2)