ピエール=オーギュスト・ルノワール

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの想い出

西洋絵画、いやあらゆる芸術作品の中でも、もっとも人口に膾炙した作品のひとつである、ムーラン・ド・ラ・ギャレット
中学校に入学したばかりのとき、美術の教科書でこの絵を見た瞬間、私をとりかこむ、閉じられた窓のひとつが開かれたように感じた。
夢見るような人々の表情、時代の最先端をいくすてきな意匠、昼下がりにふりそそぐ明るい太陽のかがやき。私たちがルノワールに惹かれる理由すべてを兼ねそなえたこの作品は、印象派の技法を知らずとも、素直に私の感情を反応させた。
それ以来、ヨーロッパ、いや外国に対する憧れは、常にこの絵とともにあった。
今回のルノワールに対する研究は、忘れかけていたその憧れを呼び起こすとともに、それを清算する試みでもあった。

この世界の美を描きとる

ルノワールは、想像力によってつくられた美を信じていなかった。なぜなら、空想に頼らずとも、美は現実に存在するものだからだ。
画家は、この世の美しいものを見いだす、豊かな眼を持っていたのだ。
ルノワールが愛したもの。手のぬくもりを感じる工芸品。近所の畑のブドウでつくられた、味の濃さにむらのあるワイン。働く女性の健康的なからだ・・・
書き連ねていくと、かれがいかに人間、それも気取っていない、自然体の人間のすがたを愛していたかが分かる。
<「……いずれにしろ……私は自分のまわりに人びとがうようよしているのを感じたかったんだよ……これからもずっとそうだろうな」>(ジャン・ルノワール『わが父 ルノワール』)
彼には、人間の姿が美しく見えたのだろう。

物事に執着しない頑固おやじ

ところで、先に引用したジャン・ルノワールによる『わが父 ルノワール』を読むと、ルノワールが持つ二つの性格が見えおもしろい。
ひとつは、物事に執着せず、周囲の変化に自分を合わせていく「コルクのうき」の哲学をもっていること。もうひとつは、工業化により画一化していく時代の流れを嫌い、古いものを愛する頑固おやじのような部分があること。
このふたつの性格は、ルノワールの生き方や作品にも表れている。
まずひとつ目の性格。
<人生というのはひとつの状態であって計画ではないという考えは、ルノワールの性格を説明するにも、だからまた彼の芸術を説明するにも、重要なものだと思われる。さらに付け加えて言うと、彼にとってこの状態は、その段階のひとつひとつが、かずかずの驚嘆に満ちた発見で示されているよろこばしい状態であった。この世界に注ぐまなざしのひとつひとつが、彼に心からの驚きと驚愕を与え、彼はそれをかくそうとはしなかった。私は父が苦しむのは見たが、たいくつするのは見たことがなかった。>(同上)
<いまでは私(ジャン)にも彼に考えが理解できる。それは、なにか価値あるモノを作った人間は、すべて、発明者としてではなく、現実に存在しているが大多数の人間には知られていないさまざまの力の触媒として行動した、という考えだった。偉大な人間とは、見そして理解することのできる人間にすぎない。(このあと、技術者の世界になる近代にメートル法をはつめいしたサン=ジュストの名を挙げる)。破壊者とは、新しい問題に古い解決を押しつけようとする人びとを言う。>(同上)
「浮世」を切り取ったようなルノワールの芸術には、彼のこの性格がはたらいているのではないだろうか。
そして、ふたつ目の性格。
ルノワールは、新興ブルジョワたちの上品ぶった態度を嫌っていた。いっぽうで、貴族や金持ちたちの「いかにも金持ちぶった」態度は好んでいた。
また、絵を描くときの彼のパレットや絵の具箱は、つねに清潔で非の打ちどころのないほど整頓されていた。彼は、必要な最低限の材料から、作品をつくることをこころがけていた。
絵を見る態度としては、次のような考えをもっていた。<ルノワールは、絵はそれが描かれた土地で見た方が美しいと考えていた。暮し方一般についても、また特に食べ物についても、同じように考えていた。彼は南仏人が、夏のあいだは鎧戸をしめ切って、厚手の帽子をかぶるか日傘をささなければ日向に出ようとしないことを認めていたし、料理という料理ににんにくを入れることも認めていた。……南仏にいるときは、彼も皆と同じようにふるまった。モンマルトルに戻ればパリの人間としてふるまうのだ。>(同上)
古い時代の巨匠たちの技を自家薬籠としたことは、ルノワールのこのような性格が作用しているかもしれない。
ジャン・ルノワールは、彼の父が生涯直面しつづけたふたつのジレンマを指摘している。それは、「直覚的な知覚の陶酔」と「巨匠たちの教えの与えるきびしい恍惚」のどちらを選ぶか、その後は「乱れやごまかしのある陽の光のなかでの写生」対「明確で冷ややかな光の下でのアトリエの仕事」という問題になる。
この二つの考えには、彼の持つふたつの性格がうまく反映されていると思うが、どうだろうか。

特別な画家、ルノワール

ルノワールを研究するにあたり、購入した画集の帯には「幸福の画家 ルノワール」と書いてある。
ケネス・クラークは、ルノワールの女性像について、次のように述べている。
ルノワールが一八八五年から一九一九年の死までにつくった裸体像の数々は、大芸術家がこれまでヴィーナスに捧げた最も美しい供物にかぞえられ、この長い章に出て来るあらゆる絲をひとつに縒り合わせている。プラクシテレスとジョルジョーネ、ルーベンスとアングルは、たとえ互いに異なっているにせよ、すべてルノワールを自分の後継者に見立てたであろう。>(ケネス・クラーク『ザ・ヌード』)
このような文言に出くわすたびに、ルノワールはつくづく特別な画家なのだな、と思う。
偉大なもの、崇高なもの、祝祭的なものではない、市井のひとびとの幸福をえがき、世界中で愛されつづけるルノワール
ジャン・ルノワールは、父に対する最大級の賛辞として、次の言葉をつづっている。
<真の学者の謙虚さは、真の画家の謙虚さと等しい。巨大な研究所や、贅沢な美術館や、高価な実験や、夢のような値段の絵の売立てなどを支えているのは、生の秘密(普遍的な均衡という秘密)に対するこの追求だ。大部分の絵画愛好者は、そんな空恐ろしいような金を払って大作品を手に入れることで何が得られるか知りはしない。盲目的に、それを知っている二、三の人のあとを追っているだけだ。呪文を知っているのは、いつだって二、三人の人だけだし、これから先もそうだろう。ルノワールは、おそらく、この呪文を多くの人びとの使えるものとした唯一の人だ。彼は人びとを愛していたし、愛はさまざまの奇蹟を生むのだ。>(『わが父、ルノワール』)
この「呪文」を、私は単純に、複製でもかまわないので、好きな絵を手にするよろこびととらえている。ひとびとが裕福になり、絵を購入できる層がふえた一九世紀という時代にルノワールがいたことは、ヨーロッパにとって幸福なことであった。
そして、かつて日本の片田舎の子供に、まだ見ぬ世界へのとびらを開いてくれたように、今でもこの画家の絵は、子供たちに「あこがれ」という感情をいだかせていると信じている。

わが父ルノワール 新装版

わが父ルノワール 新装版