『音楽の聴き方』 岡田暁生

2009/10/11読了

自分の聴き方に自覚的になること

いずれにせよ私たちは、他のどんな芸術にも増して音楽体験は、こうした生理的な反応に左右されやすいことを、よく自覚しておいた方がいい。「自分はこういうタイプのメロディーにぐっと来てしまうクセがあるんだよなあ」とか、「こういうリズムを聴くと反射的に嫌悪を感じてしまうんだ……」といった具合に、自分の性癖を理解しておくわけだ。それこそが、個人の生理的反応の次元と客観的な事実とをある程度分けて聴くための、最初のステップである。(11)

音楽を語る言葉

少々理屈っぽくなるが、例えば右の(ハンスリックの)例でいえば、確かに「スメタナの音楽は(狩人ではなく)猟犬の歓喜を表現している」のではない。むしろ逆に、音楽の中に本来内在している強烈な運動感覚が、「猟犬の喜び」という言葉を与えられることで、まざまざと私たちの身体に喚起されてくるのである。フリッチャイはこの箇所の前後で、四本のホルンがひとかたまりになって溶け合うことなく、それぞれが独立して四方から呼びかわし、こだまするような効果を再三求めている。おそらく「猟犬」という比喩も、こうした声部の独立性を詩的に表現したものだろう。ここでは、音楽が猟犬を表現しているのではなく、「猟犬」という言葉が音楽構造の比喩――それも極めて鮮烈な――として機能しているわけである。(63)

音楽の構造を考えてみる

曲における文と文、段落と段落の関係が、同じセリフの反復変奏によって作られているか、それとも「そして」でつないで物語的になっているか、あるいは「セミコロン」を入れて気分転換を図っているか、または否定の「しかし」を音楽のロジックの中へ持ち込むかどんなものでもいい、自分のお気に入りの曲について、その建築的な構造に注意しながら聞いてみてはどうだろう。構成を自由にメモしても面白いかもしれない。例えば「浮き浮き(ヴァイオリン)→×(短調トゥッティ)→悲憤慷慨(低弦)→だけど……?(フルート)→びっくり!(トランペット)→しかし最後はめでたし(トゥッティ)」。あるいは「A→移行→!!→B→クレッシェンド→いったん停止→??→Aに戻る(トランペット)」。好きなように音楽形式を視覚化してみよう。(102-103)

音楽の幅を広げるヒント

今の時代にあって何より大切なのは、自分が一体どの歴史/文化の文脈に接続しながら聴いているのかをはっきり自覚すること、そして絶えずそれとは別の文脈で聴く可能性を意識してみることだと、私は考えている。……自分が快適ならば、面白ければそれでいいという聴き方は、やはりつまらない。……むしろ音楽を、「最初はそれが分からなくて当然」という前提から聴き始めてみる。……「音楽を聴く」とは、初めのうち分からなかったものが、徐々に身近になってくるところに妙味があると、考えてみるのだ。……これはつまり自分がそれまで知らなかった音楽文化を知り、それに参入するということにほかならない。(172-173)

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)

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