リアリティ・トランジット/吉見俊哉

90年代消費社会の諸様相をめぐる、「リアリティ」の捉え方が著されていますが、この本の主張のひとつはディズニーランドをめぐる次の文章に表れています。

現代日本の都市文化を覆っている「かわいい」ことや「オシャレ」なことへのこだわりは、このような時間軸が解体した状況に対する、ひとつの防衛的機制なのかもしれない。現在日本人の多くが享受している「豊かさ」は、自然に対する、そしてまた第三世界に対する無数の収奪と排除の結果なのだが、われわれはそうしたことをしつづける何ら正当な権利を持ってはいないし、またそのことをうすうすは知っている。その際、私たちが選択しているのは、私たち自身が排除しつづけているものたちをできるだけ見ないようにして、「夢と魔法の王国」のなかに自分を溶かし込んでいくことであるようにも見える。そしてこの「王国」は、「救済」ではなく、むしろ「忘却」のメカニズムを有効に作動させていくために、ますます内部の物語を多様に流動化させ、そのゆらぎのなかに人々のまなざしを封じ込んでいるのである。(70-71)

このような社会分析からは、90年代後半以降の「ひきこもり」文化まではあと一歩でしょう。この本では「ネット以前」の社会の様相が描かれていますが、著者の主張からは、「ネット以後」の社会との断絶は思いのほか少ないのではないかと感じます。
他に、ディズニーランドとオウム真理教の同一性を論じた箇所(136-)やリースマン、ボードリヤールの書評など興味深い論が展開されています。