ダンス・ダンス・ダンス/村上春樹

この物語は、主人公の次のような社会認識と自己認識から始まります。

当時はそうは思わなかったけれど、一九六九年にはまだ世界は単純だった。機動隊員に石を投げるというだけのことで、ある場合には人は自己表明を果たすことができた。それなりに良い時代だった。ソフィスティケートされた哲学のもとで、いったい誰が警官に石を投げられるだろう?いったい誰が進んで催涙ガスを浴びるだろう?それが現在なのだ。隅から隅まで網が張られている。網の外にはまた別の網がある。何処にも行けない。石を投げれば、それはワープして自分のところに戻ってくる。本当にそうなのだ。(上126)

でも僕が孤独であること――これは真実だった。僕は誰とも結びついていない。それが僕の問題なのだ。僕は僕を取り戻しつつある。でも僕は誰とも結びついていない。
この前誰かを真剣に愛したのはいつのことだったろう?
ずっと昔だ。いつかの氷河期といつかの氷河期との間。とにかくずっと昔だ。歴史的過去。ジュラ紀とか、そういう種類の過去だ。そしてみんな消えてしまった。恐竜もマンモスもサーベル・タイガーも。宮下公園に打ちこまれたガス弾も。そして高度資本主義社会が訪れたのだ。そういう社会に僕はひとりぼっちで取り残されていた。(上60-61)

孤独を感じる彼の前に、「繋げる」ことを自らの役割だとする羊男が現れます。かれは自らを「配電盤」のような存在だとし、主人公に次のように語りかけます。

あんたはいろんなものを失った。いろんな繋ぎ目を解いてしまった。でもそれに代わるものがみつけられずにいる。それであんたは混乱しているんだ。自分が何にも結びついてないように感じられる。そして実際に何にも結びついていないんだ。あんたが結びついている場所はここだけだ。(上179)

物語が進む中で、主人公はやや風変りな、非現実的な雰囲気がある人たちとの関係を結んでいきますが、彼らはしだいに主人公のもとを去っていきます。

僕が感じたのは諦めだった。広大な海面に降りしきる雨のような静かな諦めだった。僕は哀しみをさえ感じなかった。魂の表面にそっと指を走らせるとざらりとした奇妙な感触があった。すべては音もなく過ぎ去っていくのだ。砂の上に描かれたしるしを風が吹きとばしていくように。それは誰にも止めようがないことなのだ。(下315)

多くの別れの中で傷ついた彼は、登場人物の中で唯一現実味のある「普通の」女性である、ユミヨシさんを選びます。ユミヨシさんとの再会により、主人公は再び現実世界に繋ぎ目を得て、物語は終わります。
この物語には、主人公を同一とする過去の作品と同様の「喪失感」が漂っています。しかし、過去の作品が、喪失感を持ちつつ終わるのに対し、この作品はその感情のあとに来る、現実との織りあいの付け方が描かれてあるように思えます。ストーリーを追っていけば、その結論は「他者へ繋がること」になると考えられますが、ラストシーンの奇妙に明るい場面とともにある暗さは、そのような陳腐な結論を許さない強さがあります。
キキが夢の中で主人公に語りかける次の台詞には、主人公の現実との繋がりが表層的なものに終わることを暗示してはいないでしょうか。

「あなたが泣けないもののために私たちが泣くのよ」とキキは静かに言った。まるで言い聞かせるようにゆっくりと。「あなたが涙を流せないもののために私たちが涙を流し、あなたが声を上げることのできないもののために私たちが声を上げて泣くのよ」(下362)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)