僕の叔父さん 網野善彦/中沢新一

2008/1/21-2/27
著者と網野氏の交流をつづるとともに、全体が網野史学のエッセンスを紹介した内容ともなっている。

『無縁・公界・楽』の主張

著者によれば、この本を出した当時の網野氏の主張は以下のものであった。
人間の本質は自由意志であり、それが言語や法の体系を形作っているが、それは人間を拘束するものともなる。それを否定するとき、人間の中にはさらに根源的な自由を求める欲望が発生する。この根源的欲望を現実世界において表現したものが「アジール」である。
しかし国家を立ち上げる権力意思は、自らに突きつけられている否定性をあらわす、このアジールを憎む。こうして権力とアジールの、自由をめぐる永遠の戦いが発生する。(94-96)

天皇の二面性

また、氏は天皇の二面性として、農業民の頂点に立つ姿と、「非農業民」の頂点に立つ姿を描いている。そして、非農業民と天皇のつながりは、地主等の仲立ちがないため、より直接的なものだとも言う。
南北朝時代後醍醐天皇を、非農業民の力を利用した存在として、著者は次のように書いている。
後醍醐天皇が東国の権力を打倒するために総動員した勢力とは、網野さんの言う「非農業民」の系譜につながる人々であり、それは稲籾をなかだちにして間接的・媒介的に列島に支配権を確立した「穀物霊の王」としての天皇とは異質な、天皇のもつもうひとつの顔をまざまざと示している。それは自然の諸力となまなましい直接的な結びつきをもちながら、古代以来の誇り高い伝統を生きていた人々である。(144)