日本の歴史をよみなおす/網野善彦

2008/3/9-4/20
・市場は、そこにはいるとモノも人も世俗の縁から切れてしまう場所、つまり「無縁」の場所となる。別の言い方をすれば、いったん神の世界のものになる。日本の社会では市場は河原、川の中州、浜、坂など境界に立てられる場合が多く、それらは特別な意味を持った「聖なる場所」であった。(59)
・中世以前、ケガレは単にそれを忌避し嫌悪するだけではなく、畏怖の対象ともなっていた。同時に、ケガレを帯びた職能を持った人たちも、神人・寄人・神仏の直属民という社会的位置づけを持っていた。(100)ケガレに畏怖が伴わなくなる一四世紀ごろから、商工業者や芸能民は差別の対象となりはじめる。
・古代の律令制の下でいろいろな官庁に統括されていた職農民は、律令制が衰え官庁の機能が変質するにつれ、それぞれ自立した職農民集団となっていく。遊女の発生なども同じ経緯をたどり、その源流は後宮雅楽寮に所属した女性の官人や歌女だと考えられる。(167)
・平安末期に中世国家が日本各地に誕生するが、それは農業を基礎とした封建社会ではない。交通体系を独自におさえ、さらに多様な職農民集団を組織してはじめて、このような国家は成り立ちえる。(318)
・中世国家の「重商主義」は、信長・秀吉・家康の掲げた「農本主義」に敗北する。この結果、前者の海のネットワークは鎖国によって断ち切られ、農本主義のたてまえが主要な潮流となる。百姓=農民という思い込みも、この時代から社会に浸透することになる。(378)この農本主義的な歴史観が、今日まで続いているというのが著者の主張である。