太宰治短編集

2007/8/11-8/26

女生徒

「自分から、本を読むということを取ってしまったら、この経験のない私は、泣きべそをかくことだろう。それほど私は、本に書かれてある事にたよっている。一つの本を読んでは、パッとその本に夢中になり、信頼し、同化し、共鳴し、それに生活をくっつけてみるのだ。また、ほかの本を読むと、たちまち、クルッとかわって、すましている。人のものを盗んで来て自分のものにちゃんと作り直す才能は、そのずるさは、これは私の唯一の特技だ。ほんとうに、このずるさ、いんちきにはいやになる。毎日毎日、失敗に失敗を重ねて、あか恥ばかりかいていたら、少しは重厚になるかもしれない。けれども、そのような失敗にさえ、なんとか理屈をこじつけて、じょうずにつくろい、ちゃんとしたような理論を編み出し、苦肉の芝居なんか得々とやりそうだ。(こんな言葉もどこかの本で読んだことがある。)」(87-88)

東京八景

「東京八景。私は、その短編を、いつかゆっくり、骨折って書いてみたいと思っていた。十年間の私の東京生活を、その時々の風景に託して書いてみたいと思っていた。私は、ことし三十二歳である。日本の倫理においても、この年齢は、すでに中年の域にはいりかけたことを意味している。また私が、自分の肉体、情熱に尋ねてみても、悲しいかなそれを否定できない。覚えておくがよい。おまえは、もう青春を失ったのだ。もっともらしい顔の三十男である。東京八景。私はそれを、青春への訣別の辞として、だれにも媚びずに書きたかった。」(213)
「なんの転機で、そうなったのだろう。私は、生きなければならぬと思った。(中略)もはや、私には人に恐縮しなければならぬような生得の特権が、何もない。かえって、マイナスだけである。その自覚と、もう一つ。下宿の一室に、死ぬる気魄も失って寝ころんでいる間に、私のからだが不思議にめきめき頑健になって来たという事実をも、大いに重要な一因としてあげなければならぬ。なおまた、年齢、戦争、歴史観の動揺、怠惰への嫌悪、文学への謙虚、神はある、などといろいろあげる事もできるであろうが、人の転機の説明は、どうもなんだか空々しい。その説明が、ぎりぎりに正確を期したものであっても、それでも必ずどこかにうその間隙がにおっているものだ。人は、いつも、こう考えたり、そう思ったりして行路を選んでいるものではないからでもあろう。多くの場合、人は、いつのまにか、ちがう野原を歩いている。」(235-236)