岸田劉生「切通之写生」
二十五歳の岸田劉生にとって、目の前にある坂は「画家岸田劉生になるための坂」だった。でも≪切通之写生≫の坂は、もっと開かれた「誰にとっても存在する”人生”という坂」だったような気がする。近代の「道」の寂しさは、誰にとっても開かれているようで、結局は「偉大な一人」になるための道でしかないからではないか。新しく開かれた近代になって、「芸術」というオープンな領域を開いたはずなのに、でも――というところが、私にとっての「近代の寂しさ」である。(87)
近づける、自分も行けると思ったのに、置いていかれる感じ?なんとなくわかる。
明治の洋風建築
「日本家屋が当たり前にある地域に育った日本人」のくせに、私は西洋の匂いのするものに「懐しい」を感じてしまうのである。それはなぜか?この答は一つしかないはずである。つまり「方向は西洋化だ」という方向付けされた文化の中にいたから、脳みそが、「その当時の当たり前の日本的」には反応しなくて、「こっちに行くのが正しい」という形で存在していた「西洋」に反応してしまうのである。(116)
ありえたかもしれない未来を、更にその未来から振りかえること。