『ひらがな日本美術史7』橋本治 2/2

岸田劉生切通之写生」

 二十五歳の岸田劉生にとって、目の前にある坂は「画家岸田劉生になるための坂」だった。でも≪切通之写生≫の坂は、もっと開かれた「誰にとっても存在する”人生”という坂」だったような気がする。近代の「道」の寂しさは、誰にとっても開かれているようで、結局は「偉大な一人」になるための道でしかないからではないか。新しく開かれた近代になって、「芸術」というオープンな領域を開いたはずなのに、でも――というところが、私にとっての「近代の寂しさ」である。(87) 
 近づける、自分も行けると思ったのに、置いていかれる感じ?なんとなくわかる。

明治の洋風建築

 「日本家屋が当たり前にある地域に育った日本人」のくせに、私は西洋の匂いのするものに「懐しい」を感じてしまうのである。それはなぜか?この答は一つしかないはずである。つまり「方向は西洋化だ」という方向付けされた文化の中にいたから、脳みそが、「その当時の当たり前の日本的」には反応しなくて、「こっちに行くのが正しい」という形で存在していた「西洋」に反応してしまうのである。(116)
 ありえたかもしれない未来を、更にその未来から振りかえること。

棟方志功「釈迦十大弟子

 彼は一点一点を、「この絵は誰」と決めずに、「画中人物の名前なんか、出来上がった後で”これは誰”と決めればいいや」と思っていたというのである。……だから、≪釈迦十大弟子≫は、「釈迦の弟子十人の肖像」なんかではなくて、「釈迦の十大弟子に想を借りた、なにかを欣求する一人の男の十態」でもあるのである。宗教に想を借りて、その宗教のいかなるかを無視してしまっている。だからこそ、この≪釈迦十大弟子≫は、宗教とか信仰を生んでしまった――それを必要とする人間の根本の姿に届いてしまっているのである。(195)

ひらがな日本美術史 7

ひらがな日本美術史 7

  • 作者:橋本 治
  • 発売日: 2007/02/22
  • メディア: 大型本