『吉田秀和全集3 二十世紀の音楽』1/4

この本は、三部分から構成されている。第一部として、昭和四十七年から四十八年まで『芸術新潮』に連載されたものをまとめた、『現代音楽を考える』。
第二部は、昭和三十二年に岩波新書の一冊として刊行された『二十世紀の音楽』。
第三部は、現代音楽について雑誌や新聞への発表した文書をまとめたものである。
これらのうち、第一部・第二部は現代音楽が当時どう考えられていたか知るにあたり、非常に参考になるものであった。特に第一部は、音楽に限らず二十世紀の芸術、とくに美術を考察するにあたっても、示唆に富む内容である。

『現代音楽を考える』より

第一部の『現代音楽を考える』は、個々の作曲家論から始まる。彼らの発言や行動から、現代の芸術が立ち会わられる瞬間を見てとることができる。

(ヴァレーズ)「美しい音楽はとてもよいものだ。私は大好きだ。しかし、どんな時代でも、よいものはよいというわけにはいかない。同じものが、ある状況のもとでは健康を養うものになり、別の時は病気の基になる。そうして、人は腐敗したものとは戦い、虚弱化の危険を感じたら、それに反抗しなければならない。だが、それはもちろん、モンテヴェルディやベルクの罪ではないのだ。それにこの人たちも、それぞれ、全力をあげて戦ったのだ、病気や悪、怠惰や感傷と。」(37)

私は、彼ら(六〇年代の日本の作曲家)がたまたま名人の演奏をきいたということと、その演奏家たちが「名人」であったということを同じくらい重視する。あるいは名人できく機会を得てはじめて、彼らの作曲の意欲がかきたてられたということをより重要に思う。……本当の名人にふれることにより、諸井は全面的セリーから、奏者の即興性に多くを委ね、彼らのつくりだす絶妙な音色とテンポ感、間のとり方といったものに自由の余地を多分に残した作風に踏みきっていったのである。(60)

邦楽器の音、琵琶の一撥、尺八の一吹きの音は、「論理を搬ぶ役割をなすためには」――つまり、その一つ一つを西洋風の単語のように扱い、それを組み合わせて一つの文章をつくるというふうに使うためには――それ自体としてすでに完結しきっている。というのも、それらの音はあまりにも複雑なものであって、それ以上どうにも動かしようがないのである。そうして、その「複雑で洗練された一音と拮抗するものとして、日本人の感受性は無数の音の犇めく間として無言で沈黙のという独自のものをつくりだした」という認識に、武満は到達する。……
「私は沈黙と測りあえるほどに強い、一つの音に至りたい。」(65)