ラヴェル −捏造されるノスタルジア−

 『ソナチネ』『ハイドンの名によるメヌエット』『マ・メール・ロワ』・・・。綺麗で、ふしぎで、儚げなラヴェルピアノ曲
 この作品たちと共に過ごしている時間、自分の思いは現実から飛翔し、過去へとさかのぼる。明るく、おだやかだった、幼少時代。小さな幸せに満足していた、過ぎ去ったあの頃。
 そして、音楽が終わり、ふいに私は気づくのだ。自分のこどもの頃には、決してそのような思い出は無かったということを。幸せな幼少時代の思い出は、ラヴェルの音楽により作られた、架空のものだということを。
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 エレーヌ・ジュルダン=モランジュ氏とヴラド・ペルルミュテールによる対談集『ラヴェルピアノ曲』には、ラヴェルの性格について、次のように語られている。

 ラヴェルを説明しようとすれば、彼の個性のもっとも魅惑的な一面に光を当てないわけにはいかないでしょう。彼の生涯、彼の音楽の一部分は、まぶしいばかりの無邪気さそのものでした。ラヴェルは、こどもの頃からものごとを楽しく驚きの眼をもって見たり、感心して見とれたりする能力があり、また時として、家族や彼の讃美者との間でいさかいを起すほどひどく無頓着でした。そうです。幼年時代の不思議な物への趣味がそのまま残っていたのです。かれのもっともすぐれた作品のいくつかは、妖精の話、東洋の話、ギリシア神話、数々の寓話詩から霊感を得たのです。彼はこの世のものでないものの中に夢をはせてどんなにか自由の空気を吸ったことでしょう。(74-75)

 彼のピアノ曲がもつどこか子供っぽい、そして幻想的な空気感は、作曲家の無邪気で、夢見がちな性格により作られたものなのだ。
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 いっぽうで、ラヴェルの作品はしばしば「頭脳的」あるいは「人工的」とも言われる。たとえば、風の音を表現する場合、少し先輩のドビュッシーであれば、「ラシドラシド」などと、風の音をそのままピアノの響きに置きかえたかもしれない。しかし、ラヴェルであれば、そこに突如「ミ」という、自然の音には無い響きを加えることだろう。
 また、『優雅で感傷的なワルツ』の楽譜を見れば、四つの音が長三度の間隔で配置されたもの、あるいは二オクターブにわたる長二度の和音の中でメロディーが奏でられる部分など、あっと驚くような記譜がある。それは、まるで天才少年のいたずらを見ているかのようだ。
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 そのように考えれば、ラヴェルの音楽によって作り上げられる、架空の思い出にも納得がいく。幸せな幼年時代を捏造すること、それは、作曲家が私たちの残した、素敵ないたずらなのだ。
 自らの過去を丁寧に思い出してみれば、幸福な思い出はそう浮かんでくるものではない。私に限らず、多くの人にとってもそれは同じだと思う。しかし、今の自分が過去に立脚している以上、それを捨て去ることは出来ない。
 それならば、未来について思いをはせるように、「ありえたかもしれない過去」をでっちあげてみよう。ラヴェルのように美しく、甘く、そして感傷的な過去。音楽に身をひたらせている時間くらい、そのような幻想を抱くのも悪くないだろう。

ラヴェル:ピアノ曲全集

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