バーンスタインのブラームス(交響曲第四番)

この作品について、金聖響は次の評価を下している。

まさに、ひとつの時代――ベートーヴェンが切り拓いたロマン主義への道を、多くの作曲家がベートーヴェンを意識しながら歩んだ時代――の終焉を告げるにふさわしい大曲だと思います。(『ロマン派の交響曲』より)

素晴らしい作品である一番〜三番から、ブラームスがさらにもう一つ先に進んだようなこの作品。私も、氏の評価に全く同感であるが、ではこの曲がなぜ「終焉を告げる」ものとなっているのか。
交響曲第四番からは、先行する作品が持っていた循環構造は、少なくともわかりやすい形では聴き取ることができない。かわりに耳に入るのは、「無時間的」ともいえるような、時代を超越した音楽の構成である。
たとえば第一楽章は、20世紀のシェーンベルクが編み出したような技法が用いられてるといわれる。また、その旋律は、のちの映画音楽のようなモダンな印象がある。反面第二楽章は、中世の教会旋律を利用したものである。かつてルネサンス時代の音楽を聴いたことがあるが、その響きを彷彿させる音楽が聴こえる。
そして最終楽章はバッハへの回帰。ただし、あくまで19世紀の音楽としてバッハを取り入れている。このように各楽章で、未来も含めた様々な時代の音楽が行き来し、その構成はどこか永久を思わせるものとなっている。
もしこの作品が「終焉を告げる」ものであるとしたら、それはこの点にあるはずだ。すなわち、ロマン派という19世紀という時代の産物を超え、様々な時代を行き交いながら、次の時代へとつき抜けていく音楽。
この作品からは、ブラームスという知的で、穏やかな印象を持って語られがちな作曲家の、途方もなさが感じられるのだ。