『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集1』

 チェーホフといえばまずは戯曲、そして短編の名品たち。しかし、彼は二〇代前半からすでに売れっ子作家となっており、スケッチのような小品を多くの媒体に発表していた。この本では、その時代の掌編小説六十五編がおさめられている。
 収録作品は、大きく分けて二種類。
 ひとつは都市の風景をルポルタージュ風に記したもの。「モスクワの散歩者」として、都市の情景を描写した三編が収められている。どれも、『第三の男』や黒澤明の『野良犬』を思いださせるような描写で、「映画的」と言える作品。作家の観察眼の鋭さ、おもしろさが感じられる。
 もうひとつは、人々の生活の一瞬を、カメラで切り取るようにスケッチした作品たち。ここでも作家の視点は鋭いが、若さゆえか、その視点には後年の作品のような登場人物を愛おしむ態度はなく、やや辛辣な印象。雑誌連載の掌編小説ということもあり、心理描写もなく、淡々と進む物語が多い。
 だが、読後感は決して軽くはない。それは、創作の背景に、「小さなスケッチを積み上げることで、大きな作品を作り上げることができる」という、作家の確信があるからだと思うが、どうだろうか?仮にそのような確信をもって書かれたとすれば、この短編集は「一八八〇年台記』とも言えるような、一つの大きな物語ととらえることもできる。
 この本には、蜂飼耳氏による解説が掲載されている。チェーホフの短編の魅力を的確に表現したものだと思えたため、引用しておく。

 イリヤ・エレンブルクの本に、次のような個所がある。「アントン・パーヴロヴィチは自分を抑え、その短編の中には人間的苦悩の多くの描写があり、そのユーモアは騒々しいものではなく、そのオプチミズムは盲目的なものではなく、生活への愛を他人に伝えたりなどはしなかった――つまり誓いやお説教をせず、かれは生活を愛したのだ。」さまざまな階層や職業の人々、老若男女を描き、日常的なエピソードや生活の中のドラマを描いて、けれども、それは教訓を引き出すためではなかった。ほら、こんなふうですよ、と大勢の前にひろげてみせる。ただそれだけのために、人間のようすを言葉にした。そこになにを見るのか。何を見つけるのかは、読者にゆだねられている。だから、現代にも通じる魅力があるのだ。……
 「比較的初期に、彼は生活を熱烈に愛し、それを観察し、その中に入って行ったというだけで、何千もの心に合う鍵を発見することができたのである」。何千もの心に合う鍵とは、なんと的確な言葉だろう。

チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集〈1〉 (新潮文庫)

チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集〈1〉 (新潮文庫)