バルトの理論 ―『ロラン・バルト伝』 ルイ=ジャン・カルヴェ 4/5 

 この本では、バルトの作品の紹介は最小限にとどめられているが、彼の理論は、部分部分で要領よくまとめられている。用語の整理や備忘も兼ね、一部を引用しておきたい。

エクリチュール

 彼の説明によれば、エクリチュールは作家にとって選択の場であり、規範によって二重に限定された場である。作家が社会から受け継いだ言語(ラング)と、作家に固有のものであり、作家の身体や欲動とかかわりを持つ文体(スティル)とによって限定されているのだ。それゆえ、エクリチュールとは、「歴史的連帯の行為」なのであって、この定式をサルトル用語に翻訳すれば、エクリチュールとは政治参加の場である、と言うことができる。したがって、さまざまな社会的参加に対応するさまざまなタイプのエクリチュールが存在するわけである。ある一つのエクリチュールを選ぶことは、或る一つのファッションを選ぶのと同じように、自分がある集団に所属することを示すのだ。警察のエクリチュールブルジョワエクリチュール、労働としてのエクリチュール、など、バルトはそうしたさまざまな可能性を検討する。(163)

コノテーションイデオロギー

 さしあたり、科学的なものと政治的なものの橋渡しを可能にしてくれるのは、コノテーション(共示的意味作用)という、デンマーク言語学者イェルムスレウから借りてきた例の観念である。のちに『神話作用』の「後書き」(「今日の神話」)が示すように、バルトは、共示的意味作用のうちにこそ、イデオロギーが存在するとする。つまり、明確に述べられているわけではないが、しかしそれだけにますます力強く暗黙のうちに主張されていることのうちにこそ、イデオロギーは存在するのである。この頃、彼は自分の理論体系を確立し始め、次第に政治的な問題を取り上げるようになる。(206)

テクスト相互関連性

 (『S/Z』について)バルトは、クリステヴァからテクスト相互関連性(intertextualite)の概念を借りている。この聞きなれない、新しい後の背後にあるのは、少なくともバルトの読者にとっては周知の事柄である。実際、問題はこの観念の助けを借りて、作者を匿名化し、テクストから切り離すことにあり、テクストは、派生、変形、さらにはパロディー、剽窃などの手段によって先行テクストから生み出されたものと見なされる。(361)

まなざしとしてのバルト

 このような彼の理論を紹介する一方で、著者は、バルトは「理論」を構築したわけではないと主張する。バルトはむしろ、既存のさまざまな思想を器用に利用しながら、自らの考えを作り上げる、組み立て工場のようなものなのだ。

 彼は自分の手に触れるあらゆるものを転用し、自分自身のやり方に従わせるのである。一つずつ煉瓦を積み上げていけば、ときには、幸運とセメントのおかげで、塀を作ることはできよう。しかしまた、最初の風の一吹きで、全体が崩れ去ってしまうかもしれない。サルトルブレヒトソシュールヤーコブソンバフチンといった≪煉瓦≫を使って、バルトは塀を、革新的な塀を作るのに成功した。それは彼がセメントを、自分自身のセメントを持っていて、全体にまとまりを与えたからであるが、しかし、そうすることによって一つの≪理論≫を構築した、ということは危険である。それはむしろ、一つのまなざしなのである。(283)