現実化する予言 ―「パンサル」の思想 5/5

 2016年現在、『脱いだ』で書かれた下記の部分を読むと、軽い寒気を覚える。「感情コントロール」「情報コントロール」「メシアニズム」などが現実の事となっているいま、「パンサル」の思想は、80年代の流行思想などではなく、意外なほど今日的なものとなっているのだ。
 だが、『脱いだ』は『はいた』と違い、ゼロ年代を代表する本にはなれなかった。かつてメディアを舞台にあれほど活躍していた栗本氏にとってすら、自らの思想を、それこそ貨幣のように流通させることが、どれほど難しいか、ということだ。

 つまり現代の最大の危険性は、感情コントロールと情報コントロールにある。本章で、わかりきったでっち上げの諸事実をいくつか挙げて見せたのは(知的な読者には退屈でもあったろう)、決してその事件の「真相」についての説得のためではない。
 「真相」が本書で述べた通りなら、絶対に「ああそうだったのですか」ですむことではないはずだ。大国の政府がそのような危険を危険とせず、情報コントロールを強化するばかりか、日本を含め世界が基本的に追従する。ジャーナリストはその背景を感知して黙ってしまうどころか、報道しやすい報道だけを行なって、作られた大きな流れにやはり、追従する。それをおかしいと言う者は、なんでも陰謀だと説明する陰謀史観論者だけになってしまう。……
 陰謀というものがもしあるとすれば(あると思う、有効だから)、大衆の感情誘導策を含めて存在している。感情を麻痺させられた大衆は、明らかな事実があってもまともに判断することができない。
 戦争や集団的暴力への積極的参加はこういうときに起こるのだ。(164-165)
 キリスト教共産主義を含む、そういうメシアニズムは、必ずヒトの生命が殺戮される危機を生んできた。要するに、選民意識とメシアニズムは、混乱と戦いと差別を生むところの思想構造を基盤として持っている。その二〇世紀的な帰結のひとつが、その名前自体に「神に選ばれた」という意味を持つイスラエルの建国であった。これは、当然ながら、対立と殺戮を生む新たな震源となっている。しかも、どう考えても神に選ばれたというアブラハムの子孫ではない勢力がこれを仕切っているのも奇妙なことだ。鈍感な他の人類に比べて、救済思想は暴力と戦争の合理化を生むという真実を、彼らは一歩先に知ってあたかも利用しているかのようである。確かに彼らはある意味では「勝ち組」であり、知識を持つという点ではぬきんでて優れているように見えるが、最終的には(それも近いうちに)彼ら自身の住む地球を(物的にかつ精神的に)破壊してしまうだろう。戦争と対立を恒常的に生み出すことによってのみ生きられる貨幣が、資金資本としてぴったり背後についているのだから当然の結果である。(258)

パンツをはいたサル―人間は、どういう生物か

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パンツを脱いだサル―ヒトは、どうして生きていくのか

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