若き日のバルト ―『ロラン・バルト伝』 ルイ=ジャン・カルヴェ 2/5 

プルースト

 まずは、学生時代やデビューする前のバルトを扱った内容から。
 彼にとって重要な作家となるプルーストとの出会い。

 彼の生涯において決定的な役割を演ずることになる作家、マルセル・プルーストを発見するのも、十六歳のときの、この同じ夏休みである。ある人々がプルーストを退屈だと考え、あまりに長すぎるプルーストの文章を嫌うということが、この青年には理解できない。彼にとっては、『失われた時を求めて』の作者は、要するに、日常生活の具体的な小さな事実から出発して、それらの事実が心のうちに呼び覚ます感覚や思い出を分析する散文詩人なのである。そしてフィリップ・ルベロールは、この友人が用いた一つのたとえを覚えている。プルーストは、水に投げられた石が引き起こす波紋の広がりを追及する観察者のようなものだ、というのである……(57-58)

「神話」批判の芽生え

 のちに『神話作用』で暴かれる現代の「神話」。その批判精神は、青年時代からすでに見られるものである。

 ロランは、病気に妨げられ、<大学>からしめ出されていると感じており、そこから生まれる苦い気持ちが辛辣さに変わっているのだ。彼は、いまやルベロールが、ルソーやラシーヌについて、ユルム街〔高等師範学校〕に入るために話さなければならないような話し方をすることに驚く。どの作家もある決定的なレッテルを貼られ、あるステレオタイプに還元されてしまっているということ――たとえば、ラ・フォンテーヌと『寓話』、モンテーニュ懐疑主義、ルソーと自尊心、等々――に腹を立て、明敏な精神がこのような決まり文句を一生懸命繰り返すのは受け入れがたいとする。(81)

サナトリウム時代の文章

 バルトが学生サナトリウムにいたころ寄稿していた文章にも、将来への萌芽が見られる。

 若き日のバルトは、「エグジスタンス」誌に、短い断章から成るギリシア旅行の紀行文や、アンドレ・ジッド、ブレッソンカミュ『異邦人』の批評を寄稿している。
 学生の同人雑誌のこの若い寄稿者のうちには、未来のロラン・バルトの多くの要素が含まれているという感じがする。すなわち、カミュや断章といった要素だけでなく、また、発見したばかりの理論(この場合はバシュラール、のちにはサルトルマルクスブレヒトソシュールヤーコブソンバフチン、など)をただちに利用する彼のやり方も含まれているのである。(105-106)