バルトの性格 ―『ロラン・バルト伝』 ルイ=ジャン・カルヴェ 3/5 

 人間の性格を、その作品と結びつけることは、バルトが戒めていたことである。しかし、著者が紹介する次のエピソードを読めば、バルトの理論もまた、ひとりの人格としてのバルトから作りだされたことが、見てとれるであろう。

学生時代のエピソード

 バルトは、サナトリウムの学生クラブの執行役員選挙に立候補し、自分の部屋で糸を繰るような行動で、見事に当選する。
 彼は自分の戦術家としての才能に非常に満足するが、しかし同時に他人の罠にはまり、とりこになってしまったと感じる。このように社会的に認められることが、つぎには隷属することになってしまうのは、恋愛関係の成行きにかなり良く似通っていると思う。かれは、サン=ティレール=デュ=トゥーヴェのある青年たちに惹きつけられたが、彼らの心をつかんでしまうと、とつぜん彼らの奴隷になったような気がしたものだった。(110-111)

飽きっぽいバルト

 外務省に勤めて数ヵ月すると、ロランは退屈する。一時、また外国に行こうかとも考えるが、パリにいて別の解決法を探し求めていると、簗にかかった魚のように、出口を求めてぐるぐる回っているような気がしてくる。とりわけ、役所の一日が終わったあとでは、なかなか自分の仕事ができない。それでも、何枚かの資料カードを作り、ときどき何ページか書くのだが、しかし何をやってもあまりぱっとしないように思える。それに、あれほど好きなパリ、ルーマニアから喜んでもどってきたパリ、アレクサンドリアではあんなに懐かしかったパリが、いまではひどく退屈なものに思われる。これはしばしば起こったことだが、あまりにも疲れてしまって、アイディアも浮かばず、それを書くこともできない夜など、宵の時間をもてあまし、どう過ごしたらよいのか、誰に会ったらよいのかもわからない。要するに、子供時代と同じように、またぞろ≪不平化≫になったような気がするのだった。(198-199)

気分屋

 彼はいつもその時の気分次第で、不機嫌になったり会食を楽しんだり、注意深かったりぼんやりしていたり、同じ相手、同じ場所であっても、ときにひどく退屈するかと思えば、ほかのときには会話を楽しむといった具合だったからである。したがって彼は、自宅で、仕事が終わって退屈しているときは、どこかに招待されることを望むが、いざ招待されると、同席したいと思っていた人たちと一緒にいるというのに、また退屈してしまうのだ、と考えることができる。(351)