『しんきろうのみえる町』 伊藤真智子

 小学校一年生のころの記憶に、蜃気楼についての本を読み、それがかなりおもしろかった、というものがある。ひょんなことから、それを思い出し、どんな本だったか調べてみた。
 本のタイトルも覚えておらず、ダメもとで蜃気楼にかんする本をインターネットで検索したところ、こちらが拍子抜けするくらい簡単に見つかってしまった。富山県魚津市出身の伊藤真智子さんが著した『しんきろうのみえる街』という本だった。
 内容は、魚津市で生まれ育った主人公の「まちこ」と、町でみられる蜃気楼とのかかわりを、主人公が子供のころ、成長してから、母親になってからと時代をおってつづっていくもの。そのなかで、昔魚津をおとづれた金沢の殿様が蜃気楼を「喜見城」と名づけたお話や、市役所に努めながら観測をつづけた「しんきろう博士」沢崎寛さんのエピソードが出てくる。
 小さいころおもしろく読んだ本であるにもかかわらず、内容はあまり覚えていなかった。ただ、次の部分を読んだとき、「たしかに、こんなことが書いてあったかもしれないな」という思いあたりがあった。

 やさしかった、じいちゃんのことをおもいだしていたまちこは、ふと、このごろ。しんきろうのことを、きかなくなったことに気がつきました。
(きんきろうがでても、みんな気がつかないのかなあ。むかしとちがって、いそがしくて、あくせくしていて、海なんか、みているひまがないのかなあ。)
 まちこは、子どものころ、あんなにみたいみたいとおもっていたしんきろうへの思いが、いつのまにか、じぶんのなかから、きえてしまっていたことに、びっくりしました。

 はまべについて、海をみたまちこは、「ああっ。」と声をあげてしまいました。
 青い、ふかみどり色をした、なつかしい海が、あぶらで、ぎらぎらしています。ごみが、波打ちぎわでゆれています。さらさらしていたすなは、どすぐろく、たまっています。
「だめだ、こんな海に、しんきろうが、でるはずがない。」

 この本は、小学校の図書館で借りた、二冊目の本だったと思う。たしか、前借りていた本を返しにいき、「学校で本を借りる」という経験をもう一度してみたいという想いから、借りてみたのだった。
 それで選んだ本が、誰からすすめられたわけでもないこの本だったのだ。いまでも、私は天気の変化に敏感だったり、気象に興味があったりするが、そんなところは小さいころからあったんだな、とふしぎな気持ちになる。
 小さいころに読んだ本の記憶はほとんどなく、そもそも本を読むことすら少なかった。そのなかで、この本を面白く読めたことは、読んだ部屋の空気や外の日差しの様子とともに、少しだけ鮮やかな記憶として、私のなかに残っている。
 以前読んだのは六歳のころだから、二十九年前の出来事。でも、あたたかい文章や丁寧なイラストで作られたこの本を再読し、幸いにも当時の記憶を裏切られることはなかった。もう一度読んでよかったなと、素直にそう思える本だった。

しんきろうのみえる町 (愛と勇気のノンフィクション)

しんきろうのみえる町 (愛と勇気のノンフィクション)