マーラー 交響曲第三番(バーンスタイン)

2年近くに渡ったロマン派の作品鑑賞が終わり、今年の春からはマーラーの作品を聴いています。そして、20世紀になって全曲初演されたこの作品になって初めて、自分が持つイメージ通りのマーラー像が現れてきたような気がします。
交響曲第一番は、19世紀的な交響曲とは一風違った次世代の作品といったもので、作曲家の若さ、みずみずしさが感じられます。第二番は、合唱や独唱が入り、ベートーベンの第九を乗り越えた作品と言われていますが、CDで聴くと少し間延びした印象を受けることがありました。
この二番が発表され、マーラーがすぐに取り掛かったのが第三番。第一楽章は重々しいファンファーレから、コラージュ的な音楽の展開に移り、堂々としたラストとなります。音楽は第二楽章のワルツ、第三楽章のスケルツォ/アリアと進み、暗いような明るいような第四楽章を経た後、第五楽章の讃美歌まで様々なジャンルを淘汰していきます。
そして、最終楽章。たたみかけるような美しい旋律が続いた後に、フィナーレに向かい音楽は最高度に充実していきます。まさに、大作曲家の交響曲を聴いていることが、心から実感できるような部分です。
この作品を聴きながら、マーラーにまつわる一つのエピソードを思い出しました。1980年代の終わりごろ、バブル景気の時代の東京では、コンサートホールにマーラー交響曲を聴きに行くことが流行となっていた、という話です。1900年前後に作曲された作品にもかかわらず、この作品の最終楽章からは、なぜがその時代の少しノスタルジックな空気感を感じるのです。
マーラーがそのようなイメージで作曲したとは思えませんが、私はこの最終楽章には「大都会の」「キラキラした」という言葉が似合うと思いました。そして、その大都会とは、パリでもロンドンでもニューヨークでもなく、なぜか東京。この作品は、伝統ある劇場よりは、最新の設備を備えた現代的な大ホールで演奏され、音の波にひたるのが似つかわしいように思えます。そのような風景がある都市として、東京は今でも存在し続けているでしょうか。