バーンスタインのブラームス(交響曲第二番)

ブラームスの田園ともいわれる第二交響曲。確かに、彼がこの作品をつくり上げたと言われるペルチャッハのおだやかな自然が浮かび上がるようである。曲はしばらく表題音楽的に進み、ときに曇りだした空や長い夕ぐれのような旋律が現れる。
作曲技法的には、第一交響曲以上に、循環構造がはっきりと確認できる。それと同時に、ブラームスのひとつの特徴とされる3度の頻出が、メロディーを性格づけるものとなっている。
ところで、シューマンの妻であるクララとのこの時期の関係について、吉田秀和氏は次のように述べている。

《第二交響曲》全体にみなぎる、満ち足りた、明るい感じは、《第二交響曲》のような傑作を書き上げたという事実とならんで、いやそれ以上に、彼の心の最も深いところで、何かが呪縛から解き放たれたことを物語っているように、私には思われる。しかもこれが、クララ・シューマンをわざわざ招いた夏休みの中で、実現したというのに、私は、もう一度注目する。
二人の間に、何か決定的なことがあったのではないか。それが何であるか、私は、まだ、具体的に語るだけの用意はないが。(『吉田秀和作曲家論集 ブラームス』より)

このことを頭に入れて作品を聴いてみれば、田園風景に託した複雑な感情のうごきや、ロマンティックで劇的な旋律に、「決定的なことがあった」あるいは「何かが終わった」クララとの関係も、聴き取ることができるかもしれない。
第四楽章は、それ以前の楽章と異なる勝利の凱旋となる。もしクララとの関係に何かがあったとすれば、この旋律は作曲家の強がり、あるいは諦めととらえることもできるのではないだろうか。これは完全に誤読であり、浅はかな聴きかたであるかもしれない。しかし、第一〜第三楽章の展開から、似つかわしくないファンファーレを聴いて、そのような印象を抱いてしまうのだ。