ムラヴィンスキーのチャイコフスキー(交響曲第六番)

ブラームスの第四番とともに、ロマン派の最後をかざる最高傑作。第一楽章のコーダを聴けば、誰しもチャイコフスキーの達観を感じるだろう。
しかし、この作品が発表された「時代」を考えてみると、また違った印象を覚える。
チャイコフスキーの最後の交響曲が発表され、彼が亡くなったのとほぼ同じ時期に、マーラー交響曲第一番、第二番を発表している。
20世紀の音楽につながる若い、新しい力としてのマーラーがある一方で、チャイコフスキーの六番は、熟しきった果物のように思える。味はしっかりついているが、一部に熟れすぎているところがあるのだ。
最終楽章は、交響曲にしてはかなりめずらしい、消え入るような終わりかたをする。それは、さながら熟れすぎたロマン派の時代を見送るような、静かな寂しさを感じるものである。
この作品には、所どころに、半世紀後の小津安二郎成瀬巳喜男の映画に使われるような音楽が現れる。そのような意味でも、20世紀は、すぐそばまで来ている。