『ドビュッシー:前奏曲集』 ベロフ

 ドビュッシー晩年のピアノ作品集である。かつて「亜麻色の髪の乙女」など有名な幾曲かを聴いたことはあったが、改めて全曲を聴くことでまた異なった印象となった。
 何よりも強く感じることは、曲による表現技法の幅広さである。増5度や9度の音を多用した和声・旋律に加え、スペインや英国、あるいはミュージックホールの音楽を取り入れるなど、実験的・無国籍的な作りの曲が多い。同時代の、大衆歌謡的なサティや、古典的な趣を感じさせるラヴェルとくらべて、そのふり幅は極端に広いと言えるだろう。「ドビュッシー的」という枠におさめてしまうことは、この作品集にはふさわしくない。
 「誤解されたくない。私がドビュッシーの音楽をきくときに覚える最大のよろこびは、何も鉄の意志、明確をきわめた内面の要請を感じるところからくるのではない。その逆に、解放された精神の躍動が、そうして微妙な詩の香りで包まれた自由のさわやかさが、そこからこちらに脈々と伝わってくるからなのだ。……そこでは、音は、響きはけっして気紛れで動いているのではない。そうではなくて、自由であることが精神の掟であるのを実証しようとしているかのように組みたてられているのである。」(『私の好きな曲』より)
 ただ一方で、作曲家が「印象派」と言われるゆえんでもある、響きの豊麗さを感じることは少なかった。吉田秀和氏によれば、本作品集をふくめた後期から晩年の作品は「もっと本質的なものだけに限られた、という意味で、より赤裸な、そうして寡黙なものに向かっている」とのことである。氏はこの作品の第二巻を、作曲家の到達点としているが、私の好みはやはり、目の前の風景が更新されるようなロマン的な情緒にあるわけで、そのような音づくりがなされた中期の作品集も、いずれは手に入れてみたいと思うのだ。

ドビュッシー:前奏曲集第1巻&第2巻

ドビュッシー:前奏曲集第1巻&第2巻