バルトークのモダニズム

 バルトークといえば民族音楽。生涯にわたり東欧の民謡を収集し、それを自作のなかに取り入れた、という彼の経歴をみれば、そのようなイメージで語られる作曲家ということになるだろう。ポピュラーな「6つのルーマニア民族舞曲」を聴けば、その素朴で楽しい調子に惹かれるひとは多い。
 だが、この曲が収録されているCDのライナーノーツは、作品の人気の秘密を次のように説明している。

 (人気の秘密は)さまざまな親しみやすいトランシルヴァニア民謡を、これも親しみやすい19世紀的な感覚による響きで伴奏付けしていることにある。

 言い方を変えれば、有名なこの舞曲は、「現代音楽家バルトークについては何も語っていない、ということにならないだろうか。
 では次に、同じく民謡を取り入れた「15のハンガリー農民歌」や「弦楽四重奏第5番」を聴いてみよう。そこにはたしかに民謡風の旋律は聞こえるが、少なくとも素朴な明るさ、楽しさだけを感じることはないだろう。和声やリズムはモダナイズされ、洗練された様相を帯びてくる。
 現代音楽に慣れていない耳にとっては、この種のバルトークの作品は、まずとっつきにくさを感じさせるものではないだろうか。風景を描写した「戸外にて」も、ドビュッシーのような親しみやすさを感じるものではない。しかし、何度も聴いて、バルトークのリズムや和声に慣れるにつれて、緊張感に満ちた作品の魅力にしだいに引き込まれていく。それと同時に、親しみやすいはずの「ルーマニア民族舞曲」には、幾分もの足りなさを感じることになるだろう。
 バルトーク戦間期に活躍した人だが、日本では第二次世界大戦以降の空気が、戦間期のヨーロッパの精神界に近かったといわれている。吉田秀和氏は、その当時のバルトークの受け入れ方を、次のように述べている。

 戦争から開放されて、私は、一方ではひどく精神的な飢えを感じると同時に、一方では自分をより堅く守るよりどころを渇望していた。そういう私の経験を、多少、一般化して語ることがゆるされるなら、栄養失調で硬化した私たちの耳に、まず、最初に≪現代音楽≫の響きを持ち込んでくれたのは、バルトークだった。(『名曲三○○選』より)

 同じ本で、次のようにも記されている。

 私が、彼について、最も高くかっているのは、ベートーヴェンと同じことで、強力なヒューマニストでありながら、純粋に音楽的な感動――つまりロマン派とも印象派ともちがい、標題楽的な情緒というものをまじえなくて――の一本槍で、清潔に、的確に、造形してゆく雄渾さの点である。(同上)

 バルトークの音楽と、彼以前の音楽、特に大戦前のそれとの間には、明らかな断絶がある。吉田氏の文章は、感情や標題にとらわれず、ストイックに音楽を追求していくことが、この断絶を作りだし、新しい感動を生みだしたと言っているようにも聞こえる。そう考えれば、彼が作り出した和声や音階も、打楽器のようなピアノ奏法も、純音楽的に必然的なものであったと考えることもできるだろう。
 彼のモダニズムとは、このストイシズム、あるいは誠実さのことなのかもしれない。

バルトーク:ピアノのための作品集

バルトーク:ピアノのための作品集

バルトーク:弦楽四重奏曲全集(1981年録音)(期間生産限定盤)

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