『ハイドン:弦楽四重奏曲 作品64-5』 スメタナ四重奏団

 まさに古典派、まさに中庸。完璧な構成の中に育ちの良さを感じさせるこの作品には、仰々しい感情の動きは存在せず、どこまでの明るく、軽やかだ。
 「そのかわり、感傷はない。べとついたり、しめっぽい述懐はない。自分の悲しみに自分から溺れていったり、その告白に深入りして、悲しみの穴をいっそう大きく深くするのを好むということがない。ということは、知性の強さと、感じる心の強さとのバランスがよくとれているので、理性を裏切らないことと、心に感じたものを偽らないということとが一つであって、二つにならないからにほかならないのだろう。」(『私の好きな曲』より)
 そう、理性の音楽なのだ。理屈ではなく理性。それでいて各楽章を貫く統一感を、吉田秀和氏は次のように表現している。
 「静かな池の面に、小さな石が投げこまれると、それから波が四方に向かって拡がってゆく。そういうように、ハイドンの四重奏曲には、耳にきこえる部分だけでなく、それとはわからないようでいて、全体をつくってゆくのに必要不可欠なものが働いていて、しかも、それは、おもてに出ているのと同じものから由来するのであって、旋律は旋律、伴奏は伴奏と別々に、ちがうものから採ってきて、あとで一緒につけ合せたのではない。いや、それどころか、すべては、最初のはじまりの石の一擲から生れたのだという、この手ごたえ。」(同上)
 理知的、ぶれない統一感、無駄の無さ。日々の仕事も、この曲のようにあるべきなのだろう。

ハイドン:弦楽四重奏曲第39番「鳥」&第67番「ひばり」:

ハイドン:弦楽四重奏曲第39番「鳥」&第67番「ひばり」: