『アフターダーク』 村上春樹

2011/3/22読了

いずれにせよ、夜のうちにその部屋の中で起こった一連の奇妙な出来事は、もう完全に終結してしまったように見える。ひととおりの循環が成し遂げられ、異変は残らず回収され、困惑には覆いがかけられ、ものごとは元通りの状態に復したように見える。私たちのまわりで原因と結果は手を結び、総合と解体は均衡を保っている。結局のところ、すべては手の届かない、深い裂け目のような場所で繰り広げられていたことなのだ。真夜中から空が白むまでの時間、そのような場所がどこかにこっそりと暗黒の入り口を開く。そこは私たちの原理が何ひとつ効力を持たない場所だ。いつどこでその深淵が人を呑み込んでいくのか、いつどこで吐き出してくれるのか、誰にも予見することはできない。(260)

しかしやがて、エリのちいさな唇が、何かに反応したように微かに動く。一瞬の、一秒の十分の一くらいの、素早い震えだ。しかし研ぎすまされた純粋な視点としての私たちが、その動きを見逃すことはない。この瞬間的な肉体の信号を、私たちはしっかりと目にとめる。今の震えは、来るべき何かのささやかな胎動であるのかもしれない。あるいはささやかな胎動の、そのまたささやかな予兆であるのかもしれない。しかしいずれにせよ、意識の微かな隙間を抜けて、何かがこちら側にしるしを送ろうとしている。そういうたしかな印象を受ける。(293-294)

アフターダーク (講談社文庫)

アフターダーク (講談社文庫)