『レヴィ=ストロースとの対話』 ジョルジュ・シャルボニエ 4/4

・「民俗芸術」と呼ばれるものは、あるものの形態はきわめて遠い過去にまでさかのぼるが、全てがそうだというわけではない。フランスの民衆的ロンドや童謡は、十八世紀のパリの社交界で流行した歌が期限となっていたりする。「民衆芸術」の背後には、きわめて複雑な事情があり、一方では保存が行われ、他方では元来貴族的であったものの通俗化・大衆化が行われるという、二重の運動がある。(119)
・(具象音楽(ミュージック・コンクレート)について)私はただ、私たちがだしぬけに物体を一つの構造として知覚すること、そして物体におけるその構造の認知が私たちに美的感動をもたらすこと、そしてそれが偶然の結果であること、そういうことがありうるといっているのです。そういう次第で、こういうことは、芸術家がそれを思いつきもせず望みもしないのに、また彼が実際にはそれの道具ですらなかったのに、起こりうることでしょう。(138)
→前述の「自然的芸術」にも関連している。『悲しき熱帯』の最後に、鉱物に対するの美的感動に触れた文章があるが、それを意識した発言ともとれる。
・芸術家とは、物体をして言語へと憧れさせるもの。かれは客体に直面しており、真実その客体の面前において一つの抽出作用、一つの憧憬が生じて、それが自然的一存在であった物体を文化的一存在とする。民俗学者が関心をもつ現象の型そのもの、すなわち、自然から文化への関連と移行とが芸術の中に特権的な表示を見出すのは、この意味において。(141)
・私が若い頃立体主義に対して感じた大きな情熱は、私が眺めていた画と、私本来の人となりとの間の、忠実で公正な関係にのみ基づいていたのではないことは確実です。それは自分を年長者からひき離し、彼らに対立する機会でもあったのです。(144)
・それは世界が変わりつつあるという信号です。そして印象主義と共に現われるこの秩序破壊は、それ以前の諸形態と印象主義とを比較するとき、また新たに立体主義と共に現われるのが認められます。立体主義はもはやささやかな郊外の風景と仲良く暮らすのではなく(モンマルトルがすでにあまりぞっとしない眺めの建物で蔽われてしまいましたからね)、人間による工業の産物と折り合って行くように人々を教えこもうとしています。二十世紀の人間が生きるべき世界は、シスレーピサロのいとおしんだ、あの比較的手つかずの自然のささやかな片隅をすらもう容れる余地がありません。これは文化と文化的産物とに完全にとり囲まれてしまった世界であって、そこから生み出される絵画は人工の物体の中にその主要な感興の主題を求めているのです。(155-156)
・私の主要な目的の一つは、つねに、文化と自然との境界線を、道具でなく有節言語の中に引くことにありました。真に、ここにおいてこそ飛躍が行われるのです。仮に私たちが未知の惑星の上で道具を作る生物に出逢ったとして、それだからと言って彼等が人類に属するかどうか確信はもてますまい。実際、そういう生物にこの地球上で出逢うことがあります。……しかしながら私たちは彼らが自然から文化への移行をなしとげたとは信じていません。だが、仮に、一つの言語を有する生物に突然出逢ったと想像してごらんなさい、その言語が我々のとはまるっきり異なっているが、我々の言語に翻訳可能で、従って、我々と意思の疎通のできる生物を……(170-171)

レヴィ=ストロースとの対話 (1970年)

レヴィ=ストロースとの対話 (1970年)