『人間不平等起源論』 ジャン・ジャック・ルソー

2010/10/9読了
今年読もうと計画していた、中山元氏翻訳作品群の一作目。
不平等が発生する前の人間像として「野生人」像を提示した本書であるが、フランス文学の伝統に沿った、人間研究の書といった趣もある。以下のような内容の主張がなされている。
・人間には理性以前に「自己愛」と「憐れみ」の二つの原理があり、そこから自然法の規則が導きだせる。(41-42)
・動物にはない人間の能力として「自己改善能力」がある。この能力は人間の不幸の源泉にもなっている。(74-75)
・野生人が<惨め>であることは繰り返し指摘されてきたが、自由で、心が安らかで、身体の健康な彼らが文明の生活者と比べて<惨め>であるとは、必ずしも言えない。(96-98)
・理性が利己愛をつくる。哲学が、人間を孤立させる。惻隠の情はこれらによって、弱められる。(106)
・社会の中でこそ、想像力の力により、愛が激情となり、しばしば忌まわしいものとなる。肉体的な要素のみであれば、愛は穏やかな状態にとどまり、嫉妬に駆られることも少ない。(111-112)
・新たな道具の発明により、人間には安楽が発生する。これが習慣になると、ありがたくはないのに、それなしでは過ごせない欲望の対象となる。安楽はなくなると苦痛であるのに、あったところでそれほど楽しくはない。それを所有しても幸福ではなく、所有していなければ不幸になる。(133)
・さまざまな観念と感情が生まれるうちに、誰もが他人を眺め、他人に眺められたいと思うようになる。尊敬の念である。これが不平等と悪徳が生まれる最初の一歩である。ここから虚栄と軽蔑、恥辱と羨望の念が生まれる。(135-136)
・為政者の権力は、恐ろしい不和と無秩序を引き起こす性質のものであり、人間の政治体制には理性を超えた基盤が必要である。それは、神の意志であり、宗教である。(172-173)
・社会制度や政治体が必要になるのは悪徳がはびこったためであり、その悪徳のためにこうした社会制度も悪用される。法は一般に情念ほど強い力を持つことはできず、人間を抑制はしても、変えることはない。(176-177)
専制政治のいきつくところは、新たな自然状態である。ここでは最強者の法いがい、善も正義の原理も消滅する。最初の自然状態は純粋なそれであったのに対し、この到達点は、腐敗の極にある自然状態である。(184)

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)