『ルネッサンスの光と闇 芸術と精神風土』 高階秀爾 

ルネッサンスの芸術作品を、その根底にある思想、すなわちネオ・プラトニズムとの関連から解き明かしている。ルネッサンス芸術に関しては、歴史背景や人物からその芸術作品を論じたものは多いが、ネオ・プラトニズムとの関係を扱った内容は意外と少なく、とくに絵画を解釈するにあたり、参考になる考え方が多かった。
「芸術に表わされた思想」に関しては、以下のような事柄が述べられている。

・十五世紀後半のネオ・プラトニズムの流行。このネオ・プラトニズムを、シニョレルリは≪パンの饗宴≫で、宇宙全体の秩序を支配する神としてのパンを中心に、自然の世界と人間の世界が互いに呼応し合いながら「美(ニンフ)」に向かって収斂していく世界観を表わす。
・この世界観により描かれた作品は、画面全体に支配的である厳しさと同時に憂愁に満ち、知的でありながら洗練された感覚にも欠けていない一種独特な雰囲気を与える。そして、憂愁(メランコリア)こそ、中世では否定的なものであったが、ルネサンスにおいては思索する芸術家の気質として、むしろ肯定的な評価を与えられるよう、変化したものである。
・ネオ・プラトニズムにおいては、「流出説」という有名な理論もある。これは、至高の存在(=神)からの「流出」と、この世界におけるその「発現」と、至高の存在への「回帰」からなり、たとえば人間の魂が回帰し、至高の存在まで到達したとき「恍惚」という状態が生じる。そして、これは三美神像において「美」「愛」「快楽」の表現へと置きかえられる。
ボッティチェリの≪春≫では、中央のヴィーナスを中心とする華やかなグループが、左端のマーキュリーによって先導されている。そして、マーキュリーは「死の使者」として登場していることから、≪春≫は死の後に続く甦りの春、復活の祭りを表わしていると考えられる。
・「愛」を知らない状態から「愛」を知った状態への移行。ティツィアーノの≪聖愛と俗愛≫の画面左(閉ざされた世界)から右(開かれた世界)への変化や、ラファエロ≪三美神≫の「貞節」に対する「美」と「愛」の力点への強調には、この思想が見られる。
ルネサンス人文主義者ピエトロ・ボンベは、「愛」を「混沌たる愛」「調和ある愛」「超越的愛(すなわち神の愛)」の三つの段階を持ち、それは「子供たちのバッカナーレ」「成人たちのバッカナーレ」「神々のバッカナーレ」によって表現される。ティツィアーノによる≪ヴィーナスの礼拝≫≪バッカナーレ≫≪バッカスとアドリアネ≫は、この愛の三段階に相当するものとなる。

他、ルネサンス期には、合理主義的、人間中心主義的思考と共に、神秘的、オカルト的な思考も強く広まっていたこと(それが、ネオ・プラトニズムの流行とも関連すると思われる)、一四八〇~九〇年代にかけ名だたる巨匠がフィレンツェを離れたことは、フィレンツェにひそむ「不毛性」の証左であるが、これはルネサンスを生み出した「多産性」と裏腹のものである、などの指摘があった。