『クーデタ』 ジョン・アップダイク

2010/10/3読了

アメリカに住んでいるあいだ、薬屋や交通渋滞のさなかにいる時に、わたしはしばしば自分が、貪欲で、葉のたくさんある、眩しい、顎の中にいるという感じを味わった。このカニンガム家の居間にはあちこちに宇宙的な匂いが水たまりのようによどんでいた。コマース街の古いシネマ・パレスと同様、ここでも英雄的な沈滞といったものが内装を凌駕していた。底なしと思えるほどのふかふかのソファーの縁にこしかけて、わたしは真鍮の天秤に触れてみたが、案の定、それは傾かなかった。かつてはそれも正直な道具だったのに、今は磨きあげられ、溶接された上で、プラスチックの百合を載せている。……暖炉そのものは、家の中心にある炉としての象徴性においてきわめて原始的な役割を果していて、わたしでさえなつかしさと共感を覚えかけたのだが、しかしまるでシャワー室の中のようにきれいに掃ききよめられたその炉には、傷一つない真鍮の薪架が飾ってあり、それが三本の完璧な白樺の薪を支えてもいたのだが、それが燃されることは決してないのだ。(178-179)

風によって浸食された裂け目や開口部から次第に遠景が開け、あまり下の方なのでまるで別の惑星のように思われるぼんやりとかすんだ砂の海が見えた。眺望は西の方、わたしの偉大な地の中央を南北に縦断しているイッピ地溝帯の方をむいていた。もっと目に近くは岩食性の地衣類が少しは湿り気のある物陰を銀色に染めており、さかさまに生えた小型種のイバラが岩棚の下側をさかさまに飾っていた。岩絵の性格も少しずつ変わりはじめた――赭土や炭を粉に挽いて糊状にした絵具は、うねうねとしてけばだった原色の缶入りスプレー塗料になった。スワチスカや様式化された性器、丸に十字や矢の形をくっつけたり、一種の飛行機のまわりに輪を書いたりしたおかしな図型が、消え去った緑のサハラの精霊主義者(アニミスト)の魔術的な図柄にとってかわった。秘文字(ヒエログリフ)のいくつかは解読できた――≪ロケット団≫、≪五五年度卒業生一同≫、≪ゲイは善なり≫、≪現在革命≫、≪自由ケベック≫・・・・・・(217-218)

その二人はオプクとムテサではなく、オプサとムテサの精神的な子孫だった。彼等はわたしに手錠をかけ、型どおりに腕をねじあげたけれども、彼等のふるまいにはもう一つ気の乗らない(まるで精力的な若い俳優たちが、彼らの軽蔑する政治宗教的意見を持ち、劇場の外で言い寄られるのにもうんざりしているホモセクシャルの時代遅れな老劇作家の芝居の一部を演じているような)ぞっとするほど慇懃なところがあって、それが人類の進化に対する彼等の世代の寄与なのだった。(333)