『曲説フランス文学』 渡辺一夫

2009/12/23読了

中世の恋愛詩誕生に関連して

獣類の性行為と人間のそれとの間には、神から見れば大差はないのでしょうが、人間的な見地よりしますと、当事者の心理的現象には、獣類にはないかもしれない複雑な様相(悲・喜・信念・懐疑・安心・不安)が具わっているように思われます。そして、品格の高いと言われる作品は、単なる性行為を主題としましても、今述べたような人間独自の心理面を、我々に伝えてくれるようです。つまり、文芸作品と言われるものは、たとえ性行為を主題とする場合でも、常に、人間性全体を背景にしているわけで、いわゆる春画的猥本とエロチックな主題だけしか持たぬ準文芸作品との差異も、おのずから存在するわけです。その意味では、芸術は、まどわしであり、詐術であると言われますが、一面の真理を語っていると申せましょう。(74)

デカルトパスカル

デカルトの有名な『方法論』にせよ、パスカルの『パンセ』にせよ、前者は、人間の理性や判断力が「真実」をつきとめるためには、当に人間によって、どのように活用され、守られねばならないかということを、デカルト自身の告白といってもよいような文章に託したものでしょうし、後者は、あらゆる点で有限な人間――必ず死ぬ人間、精神的にも肉体的にも限界を持った人間と無限なものとの対決を様々な角度から描き出し、純粋な信仰を得るためにいかにすべきかを教えています。そして、無限なものを求め得る人間の偉大と、無限なものを求めざるを得ない人間の悲惨とを比較して、無限なものの一つとして「神」に一切をゆだねるほうが、ゆだねないよりも楽であり得であり幸福であり、こうした「楽」や「得」や「幸福」は、下劣なものでもなく、卑怯なものでもなく、むしろ、人間の安心立命には欠くべからざることを説いているように思います。
デカルトの場合、人間の理性・批判精神が、「真実」と「虚妄」との間に低迷し、尚もそこから「真実」ににじり寄ろうとする人間の精神を描いたとすれば、パスカルは、人間の理性や批判精神の偉大は認めつつも、この「偉大」にも限界があることを、説いたと言えるかもしれません。即ち、人間の生態を、片ほうは「真実」と人間、他ほうは「無限」と人間という形で捕えた「調書」の提出を行ったと言えるかもしれません。(140-141)

写実主義自然主義

19世紀の科学思想が文学理論に影響を与えた例として、バルザックよりも、はるかに顕著なのは、エミール・ゾラの場合でしょう。
ゾラは、自然主義ナチュラリスム)の巨匠と言われますが、この自然主義というものは、次のように考えることができるかもしれません。バルザックが属していたことになっている写実主義(レアリスム)が、それに先立つロマン主義(ロマンティスム)のなかに秘められていた要素(例えば、人間の内心よりも人間を取り巻く外界への関心)が延長拡大されたものと言うことが可能である場合、この写実主義の外界への関心(人間の生きる自然や社会)への関心が、さらに科学的な自負で裏打ちされたのが、自然主義である、と。(283)

象徴主義とは何か

マラルメは、描きだす映像と映像との間に空隙を設けて、それを「類推」で自ら埋めようとし、また読者にも、それを要求します。こうした「詩法」は、所謂流れるような叙情を拒否しますし、雄弁とも無縁です。深く意味を極め得た言葉を、十二分に計算した配置法によって、的確に、また律動と諧調とに即して、按配することを意味します。そして、華やかな叙情に託して感懐を述べる代りに、一見、不毛のごとき言語の配置のなかに、壮麗無比な世界を暗示することが肝心となります。……音楽は音と律動と諧調との世界に人間の内心を再構成することを目的といたしますから、「音楽からその富を奪還する試み」が象徴主義だと言ったマラルメの言葉は、彼の詩歌に見られる「暗示」や「想念喚起」という働きに、光を当ててくれると思います。(311)

曲説フランス文学 (岩波現代文庫)

曲説フランス文学 (岩波現代文庫)