『サブカルチャー神話解体』 宮台真司 石原英樹 大塚明子

若者のサブカルチャーを分析したものとして著名な本書ですが、総論よりは次のような個々の事象の分析に、氏の解釈の面白さを覚えました。
たとえば、「私的な場面で、しかし決して「本当の<私>」同士が出会わないような、それでいて持続的なコミュニケーションが可能にする、きわめて巧妙なデバイス」(128)としての「かわいいカルチャー」、「全人格的な<相互浸透>を「恥ずかしいもの」と感じる諧謔的な感受性」(159)により誕生した「ポップス」など。また、人格システム類型による、音楽の享受形式の違いや、その形式の時代的な推移の分析も興味深いものでした。
その一方で、60年代以前の時代における人格システムによる趣味の違いが軽視されていること、また「見せびらかしのための趣味」という視点が見られなかったことによる違和感も覚えました。
そして同時代状況の総括として、コミュニケーションは「島宇宙化」しているとし、それを次のように説明しています。

(文化的アイテムの細分化により)同世代内部の見通しがたさがもたらした差異化志向の消滅が、他者の視線への相対的な無関心さを高め、それがひるがえって同世代内の視線の不透明さを触媒するという、相互触媒的なループが具現したのである。(465)

「システム理論」と「再帰性

氏の発言によく見られるこの二つの言葉について、本書には本人による次のような説明があります。備忘までに。

<「システム理論」とは>人々が何かを共有することによって社会が成り立っているのではなく、共有していると「思える」ことによって、さらに言えばそのように「思える」条件が存在することによって、社会が成り立っている。そのように考えるのが、システム理論のイニシャル・ステップ(最初の選択)です。
(中略)こうしたコミュニケーションが当てにしている非自明的な前提が、私たちの言う「コード」です。だから、対象となるコミュニケーションが与えられたとき、システム理論は、単なる内容分析を行うのではなく、それぞれのコミュニケーションが当てにしている暗黙のコード――初発的な観念や先行的な了解――を明るみに出していくのです。(486-487)

<「再帰性」とは>ルーマンの用法は、ベイトソン経由で数学概念を転用したもので、学習についての学習に見られるような「手続きの自己適用」を意味する。私はやや転用し、「選択と同時に選択前提もまた選択される」という非自明的な選択の在り方を指して使う。
ギデンズの用法は、言語学に由来するもので、自己を対象にするような行為の質的変化を指す。カウンセリングやニュース解説が氾濫する社会の中、人々の行為は多かれ少なかれ、「行為記述を含めて予め知られた自分」をなぞる以外なくなる。
ルーマン的用法(の転用)は、例えば「再帰性の泥沼」という私が頻用する概念に見られる通り、「自明な前提の消失」という社会的事態に関係する。ギデンズ的用法は、「全てが既知性に支配される(がゆえに入替可能性にさらされる)」という実存的事態に関係する。
前者は、社会システムが自らに必要な前提を自在に作り出す「全て手前味噌で、外がない」自体を観察する視座にとっての概念である。後者は、人格システムが自らの固有性を知ろうとして却って自らを一般的対象へと拡散する事態を観察する視座にとっての概念だ。
両者の間に密接な理論的関連があるが、詳しくは述べない。ただ両者が相まって謂わば人間学的問題を惹起することは夙に知られる処だ。(517-518)