『グリーンバーグ批評選集』 2/4

モダニズム絵画が目指したもの

 モダニズムの本質とは、ある規律そのものを批判するために、その規律に独自の方法を用いることである。それは芸術で言えば、別の芸術のミディアムと共用している効果をことごとく除去すること(=自己-批判)となる。
 たとえば絵画芸術が自らを批判し限定づけていく過程で、最も基本的なものとして残ったのは、その平面性であった。平面性、二次元性は、絵画が他の芸術と分かち合っていない唯一の条件だったので、モダニズムの絵画は、他には何もしなかったと言えるほど平面性へと向かった。モダニズムは、抽象性や非具象性に向かったというよりは、「それとわかる三次元の対象がそのなかに存在し得る類の空間の再現」を放棄したのである。(62-66)
 モダニズムは過去の芸術との連続性が断絶したものでは決してない。それは理論先行のものではなく、実践と経験が先にあるもの、それによる理論の妥当性の検証である。モダニズムはウッチェロ、ピエロ・デラ・フランチェスカエル・グレコ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの名声の復活になんらかの関係があったし、レオナルド、ラファエロティツィアーノらの地位を貶めてはいない。むしろ、これら過去の大家への評価の視点を更新したのだ。(73-74)

絵画芸術の表面性とコラージュ

 ブラックは絵画の表面性を言明するにあたり、模造印刷文字や木目・大理石模様を描いたものを用いた。しかし、表面が三次元のイリュージョンと融合しないようにするためには、表面をいっそう強調することが必要になる。一九一二年九月、彼は木目模様の壁紙のテクスチュアを絵画で模造しようとせず、紙に描いたドローイングにその実際の断片を糊付けする画期的な段階に到達したのはこの理由からである。(88)

モダニズムにおける彫刻の復活

 この新しい彫刻(=ブランクーシやコンストラクション彫刻)をモダニズムの視覚芸術の代表と位置づけているものは、とりわけ、その物理的な自立性である。彫刻作品は建物とは異なり、自重以上のものを支える必要がないし、絵画がそうであるように他の何ものかの上に置かれる必要もない。それは文字通り、また概念としても、それ自体のために、それ自体によって存在する。そして、考えられ、知覚され得る要素がことごとく当の芸術作品にのみ属すこの彫刻の自足性において、モダニズムの「美学」のあの実証主義的側面は最も充実した実現を見るのである。(110)
 現代アートにおける、マテリアリズムやインスタレーションの隆盛を予見したような文章。

大画面の意味

 あらゆる線、そして一筆さえもが絵画を枠づける垂直線と水平線に対して明白な関係を持つことは、時とともに束縛的な習慣となっていったが、解決法が「大きな表面」にあるということが把握された。