存在の耐えられない軽さ/クンデラ

2008/9/9-10/5

小説論としての小説

「人間生活は楽譜のように構成されている。人間は美の感覚に先導されて偶発的な出来事(ベートーベンの音楽、駅での死)をモチーフに変えるのであり、このモチーフがのちに人生という楽譜に書きこまれることになる。人間はそのモチーフに立ちかえり、それを繰りかえし、変更し、展開し、移しかえる、ちょうど音楽家ソナタの主題についてそうするように。アンナは全く別のかたちでも自らの日々に終止符を打つことができただろう。しかし、駅と死のモチーフ、愛の誕生と結びついたあの忘れがたいモチーフが、絶望の瞬間にその暗い美によって彼女を惹きつけたのである。人間はわれ知らず、どんなに深刻な絶望の瞬間にあっても、美の法則に従ってみずからに人生を構成するものなのである。
だから、小説にたいして不可思議な偶然の出会い(たとえば、アンナ、ヴロンスキー、ホーム、それに死の出会い、あるいはベートーヴェン、トマーシュ、テレザ、それにコニャックのグラスの出会いなど)に魅惑されることを非難できない。逆に、日常生活におけるそのような偶然に盲目であり、その結果人生から美の次元を奪ってしまうことを、人間に対して正当に非難できるのだ。」(62)

歴史小説

「彼女の多くの写真が外国にじつに様々な新聞に載った。そこにはタンク、威嚇する拳、損傷を受けた建物、血まみれの三色旗に覆われた死者たち、長竿の先につけたチェコ国旗を振りまわしながらオートバイに乗り、戦車のまわりを全速力で走りまわる若者たち、そして信じがたいほど短いミニスカートをはき、性的に飢えている兵士たちの目のまえで、見知らぬ通行者にキスしてみせることで彼らを挑発している、ごく年少の娘たちなどが見られた。繰りかえし言うが、ロシアの侵攻はただ悲劇だけであったのではない。それはまた憎悪のお祭り騒ぎでもあったのであり、その奇異な幸福感を理解する者はけっしていないだろう。」(79)
「トマーシュはホテルに向かおうとしていた。それでも、なにか変わっている。かつてそこはグランド・ホテルという名前だったのに、看板によれば、いまではバイカルとなっている。ふたりは建物の角にあるプレートを見た。それはモスクワ広場になっている。それからふたりは知っているすべての街路を散策した。そして街路の名前を見た。スターリングラード街、レニングラード街、ロストフ街、ノヴォシビルスク街、キエフ街、オデッサ街があり、チャイコフスキー療養所、トルストイ療養所、リムスキー=コルサコフ療養所があり、ホテル・スヴォルフ、映画館ゴーリキー、カフェ・プーシキンがある。すべての名前がロシアとロシアの歴史から借用されているのだ。」(191)

キッチュの思想

「存在との無条件の一致の審美的理想とは、糞が否定され、めいめいがあたかも糞など存在しないかのように振る舞う世界になる。このような審美的理想はキッチュと名づけられる。」(288)
キッチュは立てつづけにふたつの感動の涙を流させる。最初の涙が言う。「なんて美しいのだろう、芝生のうえを走っているちびっ子たちは!」
第二の涙が言う。「なんて美しいのだろう、芝生のうえを走っているちびっ子たちを見て、全人類とともに感動するのは!」
この二つの涙だけがキッチュキッチュたらしめるのである。
すべての人間たちの友愛は、ただキッチュのうえにしか基づきえないだろう。」(291)

存在の耐えられない軽さ

「人生のドラマはつねに重さのメタファーで言い表される。ひとは、私たちの肩に重荷がのしかかってきたなどと言い。その重荷を運び、それに耐えたり耐えられなかったりする。それと闘い、勝ったり負けたりする。しかし、いったいサビナにはなにが起こったというのだろうか?なにも起こってはいない。彼女が別れたかったからひとりの男と別れた。そのあつ、男は追ってきたのか?復讐しようとしたのか?そうではない。彼女のドラマは重さではなく。軽さのドラマだった。彼女に襲いかかったのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さだった。」(142-143)
「Einmal ist keinmal.一度はものの数に入らない。一度は一度も、というにひとしい。ボヘミアの歴史は二度と繰り返されることはないだろう。ヨーロッパの歴史もまたそうだ。ボヘミアの歴史とヨーロッパの歴史は、人類の宿命的な未経験が描き出したふたつの素描なのだ。歴史もまた個人の人生とまったく同じように軽く、耐えられないほど軽く、綿毛のように、舞いあがる埃のように、明日にも消え去ってしまうもののように軽いのだ。」(258-259)
カンボジアの瀕死の人びとの、いったいなにが残ったのか?
腕に黄色い肌の子供を抱いた、アメリカのスターの大きな写真だ。
トマーシュのなにが残ったのか?
彼は地上に神の王国を望んでいた、という碑文だ。
ベートーヴェンのなにが残ったのか?
信じられないほどぼさぼさの髪をして、暗い声で「Es muss sein!こうでなければならない!」と言ってのける陰気な男だ。
フランツのなにが残ったか?
長い彷徨のあとの帰還、という碑文だ。
そしてそんなふうにあとにつづき、さらにそんなふうにあとにつづく。私たちは忘却される前に、キッチュに変えられることだろう。キッチュ、それは存在と忘却のあいだの乗換駅のことなのだ。」(320-321)