津軽/太宰治

2007/5/4-5/26(再読)
過去に読んだ本であるが、実に八年ぶりに再読した。以前読んだ時の記憶は断片的に残っているだけであり、読み返すと案の定忘れている箇所が多い。次のような風景描写はまったく覚えていなかったが、今回の読書で強く印象に残った。
「(三厩から竜飛に至る描写)二時間ほど歩いた頃から、あたりの風景は何だか異様に凄くなって来た。凄愴とでもいう感じである。それは、もはや、風景ではなかった。風景というものは、永い年月、いろんな人から眺められ形容せられ、謂わば、人間の眼で舐められて軟化し、人間に飼われてなついてしまって、高さ三十五丈の華厳の滝にでも、やっぱり檻の中の猛獣のような、人くさい匂いが幽かに感ぜられる。昔から絵にかかれ歌によまれ俳句に吟ぜられた名所難所には、すべて例外なく、人間の表情が発見せられるものだが、この本州北端の海岸は、てんで、風景にも何も、なってやしない。」(115-116)
また、以前も、そして今回も印象に残ったところとして、次の箇所がある。
「教えられたとおりに行くと、なるほど田圃があって、その畦道を伝って行くと砂丘があり、その砂丘の上に国民学校が立っている。その学校の裏に廻ってみて、私は、呆然とした。こんな気持をこそ、夢見るような気持というのであろう。本州の北端の漁村で、昔と少しも変らぬ悲しいほど美しく賑やかな祭礼が、いま目の前で行われているのだ。まず、万国旗。着飾った娘たち。あちこちに白昼の酔っぱらい。そうして運動場の周囲には、百に近い掛小屋がぎっしりと立ちならび、いや、運動場の周囲だけでは場所が足りなくなったと見えて、運動場を見下ろせる小高い丘の上にまで筵で一つ一つきちんとかこんだ小屋を立て、そうしていまはお昼の休憩時間らしく、その百件の小さい家のお座敷に、それぞれの家族が重箱をひろげ、大人は酒を飲み、子供と女は、ごはん食べながら、大陽気で語り笑っているのである。日本は、ありがたい国だと、つくづく思った。たしかに、日出ずる国だと思った。国運を賭しての大戦争のさいちゅうでも、本州の北端の寒村で、このように明るい不思議な大宴会が催されて居る。古代の神々の豪放な笑いと闊達な舞踏をこの本州の僻陬に於いて直接に見聞する思いであった。海を越え山を越え、母を捜して三千里歩いて、行き着いた国の果の砂丘の上に、華麗なお神楽が催されていたというようなお伽噺の主人公に私はなったような気がした。」(198-199)
最初にこの本を読んだとき、この箇所で、日本社会の裏側に抜けられたような感覚を味わえた。そして、こんな風に現在の生活から一歩足場をずらせることに、小説を読むことの希望があるのだと思う。