マックス・ウェーバー入門/山之内靖

2007/1/6読了
「すなわち、高利貸し、戦争請負業者、官職ならびに租税の請負業者、大金融業者といった、資本主義と言ってよい経営のタイプは、人類史の非常に古くから、いろいろな地域に現れています。それらは、形態上は資本主義であるけれども、宗教改革期にはじめて検出されるような、徹底的に非合理的な禁欲によって貫かれた職業労働のエートスを伴ってはいませんでした。
そのズレを見届けることができないと、両者の関係を歴史の中で誤読してしまうことになります。これは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で随所に繰り返されるところです。」(71)
「この脈絡からすれば、宗教改革における文化革命と、それによる伝統主義的で帰属主義的な絆からの人間の解放こそが、ヴェーバーが「鉄の檻」と呼んだ近代の官僚制的秩序をもたらしたところの「倫理的基礎」なのです。ヴェーバーがヨーロッパ近代の合理性を賛美したなどという読み方が、およそ、ヴェーバーの真意にそぐわないものであることは、もはや疑う余地がないでしょう。」(95)
「このように、運命概念の成立は、神の世界に対する人間の世界の対置という一点に収斂していくことがわかりますが、しかし、この対置は、ヴェーバーにおいては、神の死滅はすなわち人間の勝利を意味するなどといった啓蒙主義的色彩を帯びるべきものではまったくなく、ほの暗い情念の力の噴出がもたらす、本質的に不確実な世界の現出を意味するものでした。この不確実の世界を避けようとするのではなく、それがもつ恐るべき結末と暗闇にあえて挑戦する。そこにこそ人間の生の尊厳(ヴュルデ)が宿されていると、ヴェーバーは考えはじめているのです。」(134)