『ひらがな日本美術史7』橋本治 1/2

井上安治の浮世絵

 東京名所絵のシリーズで≪日本橋夜景≫というのがある。伝統的な「当時の日本橋」である。伝統的な「浮世絵」でもあり、と同時に、「新しい近代絵画」でもある。「伝統的」に見えるのは、この日本橋がまだ江戸以来の面影を保っているからだが、重要なのは、画家の目の前にある日本橋川の夜景が、そっくりそのまま画面の中に浮かび上がっていることである。江戸時代の浮世絵の特徴の一つは、「そこに芝居がある」ということだった。風景画であっても、浮世絵には「芝居をしている」という感覚がつきまとう――つまり、「絵にする」というテクニックが必要なのだが、安治に絵にはそれがない。ただ「あるがままの風景」がそのまま絵になっている。そこが断然新しいのである。(23)

黒田清輝筆「湖畔」

 私は、日本人が印象派の絵が好きな理由は、結構簡単に説明できると思う。それは、日本に春夏秋冬の四つの季節があって、それに対応する美意識が、雪月花の三つしかなかったからだろうと思う。冬の雪、秋の月、春の花があって、夏の対応するものがない。そして、印象派を育てたのは、ヨーロッパの澄んだ夏の光なのである。「雪月花があるのだから四番目もほしい」というのは、別に間違ったことではないと思うが、「雪月花の四番目がほしい」だけで、西洋の絵を我が物にしたがったわけでもないだろう。実のところ私には、「日本の油絵」が何を目指していたのか、よく分からないのである。(53)

狩野芳崖筆「大鷲」

 「自分を確固とさせるものが必要だ」という点においては、日本にやって来たアメリカ人も、新政府の文部官僚も、その上に立つ新政府の権力者も同じだっただろう。「自分は間違ってはいない、正しいのだ」ということを肯定してくれるものに出会った時、近代日本の中枢に「美術の必要」は根づいたんではなかろうかと、私は思うのである。そのアイデンティティを作用させる力こそが、明治の日本画の「精神性」なのだとしか、私には思えないのだ。
 その「伝統」は、すでにある。それは素晴らしい――「その力を、我々の現在を肯定するためにもう一度作動させよ」というのが、「伝統美術の方がすぐれている」に由来する、日本の伝統的画題のリクリエイトなのではないかと。(64)

高村光太郎作「手」「柘榴」

 不思議と言うのは≪手≫が見せるそっけなさである。この作品を見ていると、作品に対する高村光太郎の「執着」が感じられないのである。「はい、作りました」ですませてしまう、作者の婉曲なるそっけなさを感じてしまう。≪手≫から六年ほどして、高村光太郎は≪蝉≫とか≪鯰≫とか、≪うそ鳥≫≪柘榴≫という、木彫りの小品を発表するようになる。これが、「僕の前に道はない」という作家の作品とも思えないくらい、いいのである。……そのように、彫刻家である高村光太郎の作品は、一貫してクールで、「客観性」と言いたいような冷静さがあるのである。ある意味で、高村光太郎は初めから「高村光太郎」として完成していて、だからこそ、「進歩してやる!」というような激しい執着がない。作者自身のその心持ちが見る者にも伝わってきて、妙に冷静になってしまうのである。(77)